文化祭当日。ESSの展示ブースは暗幕を張り暗闇となった。スライドショーは航空会社とタイアップでつくられたもので万博を鮮やかに紹介していた。
「ファンジェット・ファンジェット」と、軽やかな調子で始まるCMソングとジェットエンジンの大きな音でスライドショーが始まりで、聴衆はその世界へと没入していった。
隣の部屋の登山部の部長先生から「うるさい、いい加減にしてくれ」と苦情が来たが、きっとあちらは客が来なかったためイライラしていたのかもしれない。もう一つ、南北戦争の16ミリ映画も借りてきていた。こちらは映画部に上映してもらった。内容的には面白いとは言いがたかったが、映画部は上映するネタが少ないので喜んで協力してくれた。
かくして文化祭でESSは大評判をとった。
ESSに中山武司あり、とその企画力は友人たちにも先生たちにも一目置かれるようになった。
ESSでは、先輩に連れられて代々木のワシントン・ハイツにも出かけた。ただここは間近に迫った東京五輪の選手村として使われるために、代わりに府中に新設された関東村(米軍住宅)へと移転しまう。
武司はバニティー・ジョーンズという軍曹の奥さんを紹介され、英会話を学ぶため東京の下町からはるばる府中まで二年も通った。
ある日ジョーンズ家に、日本人の家政婦が来ていた。彼女の英語は、動詞と名詞を組み合わせた身振り手振りのブロークンイングリッシュ。
しかし武司の英語より彼女のボディーランゲージのほうが意味が通じるのに驚いた。言葉は理屈ではない、ということを思い知らされた瞬間だった。
1964年(昭和三十九年)。東京五輪開催の前年に「第1回実用英語技能検定試験」が行われた。武司はこれまでの勉強の成果を試そうと勇んで受験した。
しかし武司の実力は三級であった。もっとできるはずなのにと本人は内心思っていたがその夢は打ち砕かれた。英語上達の道のりはまだ長いと思い知らされる。
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