【前回の記事を読む】左車線からトラックを追い越した次の瞬間、“グチャ”という鈍い音が響いた――愛車は石油缶のように潰れ、原型を留めておらず……
第二章 天真爛漫、青春時代
英語との出会い
中山武司にとって忘れられない出会いの一人が小尾(おび)真一さんだ。小尾さんは英語の家庭教師だった。四歳年上の兄たちには中学高校と英語の家庭教師がついていた。それが小尾先生だった。
中学に入ると自然と武司も小尾先生の教えを受けることになった。小尾先生は大手玩具メーカーに勤めていた。会社のある蔵前は墨田区本所の武司の家と、隅田川を隔てた至近の距離にあった。
早稲田大学を卒業し英語が堪能、身長百八十センチ、トレンチコートと中折れハットがよく似合う堂々たる体軀のダンディな紳士だった。糊のきいた白いワイシャツの袖口から覗くオメガの腕時計、パーカーのボールペンを滑らせて書く英文字の筆記体。その日本人離れしているスマートさが、武司には眩しく見えた。
小尾先生は実務で使う実践的な英語を教えてくれた。学校で教える型ではまった文法英語とはひと味違う活きた英語に武司は魅力を感じた。
学校の勉強と比べて面白く、自然と身についていくことが快感だった。小尾先生のお陰で英語が好きになり、高校時代にはESSに籍を置くまでになったが、文法重視の英語の授業は本物ではないと感じていた。
武司がESSに入ったのは、なんと言ってもアメリカに近づきたかったからだ。
「ESSイコールアメリカといった気がしていました、当時の日本人はアメリカの文化や生活に憧れている人が多かった。特に若者にとってアメリカの何もかもがカッコよかったんです」(中山)
部活動で一番の腕の見せどころは文化祭だ。ただ運動部と違って文科系の部活動の発表は地味になりがち。紙の掲示物で英語の魅力は表現できないと武司は考えた。
アメリカ大使館へ電話をかけて相談すると、「アメリカ文化センター」というところを紹介された。
ここでカナダで開催された万博のPRスライドを見て武司は感激する。BGMとナレーターの紹介で、自動スライド機を使ったカラーのスライドショーを目にする。当時はまだビデオも普及していなかったのでスライドショーは魅力的な視覚効果があった。
早速、武司は機器一式の借り入れを申し入れる。舶来の機械で高価なものだったが、とりあえずOKを取った。