【前回の記事を読む】ロンドンの古書店で見つけた庭園の本に、亡き父の名が――だが父は生前、この本を一度も語らなかった

プロローグ

「この本を持ち込んだ人は去年まで上海に住んでいて、最近イギリスに帰ってきたんだ。本は上海の古書店で購入したと言っていたよ。今はケンブリッジに住んでいるらしい」

結局、店主の言い値通りの代金を払いながら、

「差し支えなかったら、ぜひ住所を教えてください」

と言った。

店主は軽く頷(うなず)くと、引き出しからノートを取り出してページを繰り始めた。

「あった、これだ! ディビッド・フォ……」

と言って、ノートに書かれた住所録を指差し示しながら読み上げた。俊郎は礼を言うと、素早く手帳にそれをメモした。さっそく、翌日の日曜日に訪ねてみることにした。

ディビッド・フォックスの自宅は、市の中心から少し外れた閑静な住宅地にあった。

弓なりに湾曲した道路に沿って建てられた瀟洒(しょうしゃ)なタウンハウスの一軒である。

呼び鈴を押すとすぐに家の中から男の声で返答があった。

「電話でお話しした今泉と申します」

「待っていましたよ」

ディビッドは六十代後半だろうか。白髪まじりの頭に日焼けした顔が、俊郎を迎えた。M書店の店主の話では、彼は若い頃、結婚していたが、世界じゅうを放浪して、最後に住み着いた上海では一人暮らしになっていたそうだ。

「日本語お上手ですね?」

「自慢ではないですが、六ヶ国語が話せます」

訛(なまり)のない流暢な日本語が返ってきた。

「上海でのお仕事は?」

「カメラマンです」

「今日伺ったのは、あなたがカムデンの古書店に売った本のことで……」

そう言って、俊郎は鞄かばんから大事そうに本を取り出し、ディビッドの前に置いた。

「ああ、それは確かにわたしが先日M書店に売ったものです。あなたが買われたのですね?」

「ずっと上海に住んでいらしたようですが、これを手に入れられたのはどこですか?」

「ずいぶん前ですが、その当時、上海の日本租界にある古道具屋の主人から買ったんです」

ディビッドは、本に目を落としながら答えた。

「古書店ではなくて?」

「ええ。租界の西のほう、四馬路(すもる)というところにある古道具屋。代替わりはしたけど、店は今もあの街にありますよ。怪しげな店でね。盗品なんかも扱っているらしいけれど、その代わり掘り出し物もたくさんあったな」