【前回記事を読む】40年あまり物理学を究めた科学者。しかし深く知れば知るほど、物理では説明できない「心」が存在することを感じるようになり……
はしがき
既に述べましたように、本書の最大の目的は「大きな自分」と「小さな自分」について、できるだけやさしく、丁寧に説明をすることです。
私は、いくつかの仏教の経典や哲学書などを基にして、「大きな自分」とは何か、「小さな自分」とは何かを自分で納得のいくように思索しました。さらにその概念が正しいかどうかを確認するために、世の中で名著とされている多くの著書の内容との比較を試みました。その結果を示すことも本書の目的です。
そして、「大きな自分」と「小さな自分」をキーワードとして考えれば、人生における疑問や問題がどのように解けるのかを、本書において説明したいと思います。
実は、本書は私がインターネットの「小谷章雄のホームページ」で公開している「Activity Report」の中心的な内容を、やさしくコンパクトにまとめ直したものです。コンパクトにしたために、原文の約1/20の内容しか扱うことができませんでした。より詳細は、次のURLからホームページを開いて「Activity Report」をご覧ください。
https://sites.google.com/view/akio-kotani/home
2025年5月 東京大学名誉教授 小谷章雄
第1部 「大きな自分」と「小さな自分」とは何か
「小さな自分」って何?
人に「自分とは何ですか」と尋ねますと、ほとんどの人は「自分とはこの身体の持ち主です」と言って自分の身体を指すだろうと思います。
「では、自分の意識とは何ですか」と尋ねますと、「意識とは自分の脳の働きです」と答える人が多いのではないでしょうか。
実はこれが「小さな自分」(仏教では「小我」と呼びます)なのです。つまり、ほとんどの人間は自分とは「小さな自分」だと思っています。
ここではまず、なぜわれわれはそのように思うのか(あるいは、思うようになったのか)、そして「小さな自分」の特性は何なのかを論じたいと思います。
「小さな自分」を語る上で、17世紀のフランスの哲学者ルネ・デカルト[1]の存在を見逃すことはできません。
デカルトは17世紀初頭の宗教戦争で大混乱に陥ったヨーロッパで、一兵士として出兵し、どうしようもない厳しい現実に直面して虚無感に打ちのめされていました。
強い懐疑心に支配され、すべての現実は虚偽ではないかと考え出します。そんな時、彼はひとつの動かしがたい確信に到達したのです。著書『方法序説』の中で、デカルトは次のように述べています。
「このようにすべてを偽と考えようとする間も、そう考えているこの『私』は必然的に何ものかでなければならない。」
これが、「我思う、故に我あり」という確信でした。「すべての現実は虚偽であるかもしれない。しかしすべてを疑っている『私』の存在だけは疑い得ない」と。デカルトはこれを「哲学の第一原理」としました。この原理は「独我論」と呼ばれています。