独我論において、「私という存在=主体」は「他のすべてのもの=客体」からはっきりと分別され(自他分別性といいます)、別格視された存在です。「すべての存在が虚偽であっても、『私』の存在だけは疑い得ない」からです。
そこでこの別格の「私」であるデカルトは、周囲の自然環境から完全に独立して、物質的自然現象を実証的・合理的・機械的に観察し、論理的・分析的に思考しました。
このようにして、その自然現象の背後にある真理を理解しようと努めたのです。これはまさに今でいう科学的な態度であり、デカルトは「近代科学の父」*と呼ばれています。
『方法序説』はこのような科学的方法を説いたものであり、この書の正確なタイトルは「理性を正しく導き、学問において真理を探究するための方法の序説。
加えて、その方法の試みである屈折光学、気象学、幾何学」であって、3つの科学的論文集の短い序文だけを取り出したものを『方法序説』と呼んでいるのです。
デカルトによって創始された物質の自然科学はその後大成功を収め、その上に壮大な近代物質文明が築かれました。
近代科学の成功により、現代人の多くは科学万能主義、物質至上主義を信奉するようになりました。科学的思考、物質的思考によれば、必然的に「自分とはこの身体であり、意識とは自分の脳の働きである」という結論が導かれます。これが、現代人のほとんどがそう思っている理由です。
『方法序説』をよく読んでみますと、実は、デカルト自身は「意識とは自分の脳の働きである」とは考えていなかったことがわかります。
デカルトは科学的思考を推進する主体を「理性」あるいは「理性的魂」と呼んでいますが、これは神によって創造されたものだと述べています。
しかし、デカルト以後に科学が大きな発展を遂げた現代では、多くの人たちは、神の創造を認めない科学的思考により「意識とは自分の脳の働きである」と考えるようになりました。皮肉にも、デカルトによって創始された科学によって、デカルトの「理性的魂」が否定されたのです。
[1]ルネ・デカルト(谷川多佳子 訳)『方法序説』岩波文庫 1997年
*ガリレオ・ガリレイやアイザック・ニュートンが「近代科学の父」と呼ばれることもありますが、デカルトは近代科学の方法を確立したのですから、「父」と呼ばれるに最もふさわしい人物と考えられます。
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