【前回の記事を読む】「ここには居られない」幼い息子は母や姉妹を残し、たったひとりで電車に乗って家を出た
第一章 仁の家出と家族のこと
葉山から六本木・麻布へ
珠子の父、俊太郎は現在の「豊島が丘女子学院」を創った河井ヨシの息子で、1906年に白熱電球の会社を立ち上げた。世の中がガス灯から電球に変わる時代である。
1911年にアメリカGE社がタングステン製フィラメントの白熱電球を売り出した頃、俊太郎の帝国電球製作所では、弟、吉太郎が農商務省海外実業練習生としてC社へ派遣された。
そして、1910年、鉄道電気部品などの輸入会社「H商会」の出資を受け「帝国電球株式会社」と社名を変更し、タングステンランプ製造機を輸入して白熱電球を量産し始めた。
そのような中で生まれた珠子は、正真正銘のモダンガール。
倍増する資産の中で育ち、お金の使い方を知っている太陽のような女性だった。
今、欲しいものに「ばん!」と現金を出す珠子を、幼い仁は、「珠子おばちゃまはお金の使い方を知っている」と、その明るさに吸い寄せられていた。
「ジンアズカッテイル、シキュウレンラクコウ」
仁が家出した翌朝、珠子から電報をもらった政子は、急いで彼女の家を訪ねた。
本来は出かける前に夕飯の支度をして、娘たちに置き手紙をするべきであったが、政子は電報を受け取ったその足で、電報を握りしめ、気が付くと麻布龍土町の珠子の家に着いていた。
応対に出た珠子は、政子の顔を見るなり、「政子さん、仁ちゃんがどうしても葉山には帰りたくないと言うのよ。ウチならかまやしないから、この子は少しウチで暮らしたらどうかしら?」サラリと言う。
あまりのことに、政子は声も出ない。
珠子から連絡を受け麻布に住む政子の弟、直保もやって来た。直保はまだ二十歳(はたち)の学生である。
家から走って来たのか、真っ赤な顔で怒っている。