【前回の記事を読む】男尊女卑だった社会では、ありえない…『国生み』でイザナミが求婚する描写は、男系天皇家以前の“女王の国”の痕跡か……
序章 邪馬台国東遷説 3つのエビデンス
『日本書紀』「神代の巻」や「神功皇后記」は、『日本書紀』編纂者が机上で創作したもので、 史実ではないという意見が優勢である。しかし、まぎれもなく「倭国の双系社会」を描写、 あるいは記録したものであると、私は確信している。その理由は、これらを詳細に論じた本論で読み取っていただきたい。
本書では、まず第1章で、『日本書紀』神代の巻での倭国特有の双系継承の描写を見ていきたい。第2章では、卑弥呼が双系継承の社会に属していたことを確認していきたい。
さらに第3章では、神功皇后が双系継承社会の一員であることを確認し、さらに朝鮮の『三国史記』と「神功皇后記」の対外記事を比較することで、「神功皇后記」が史実を語っていることを述べていきたい。
『日本書紀』神代の巻、「神功皇后記」は明らかに筑紫が中心である。応神天皇は応神天皇陵があるように明らかに河内が中心である。
第4章では、倭国の東遷の状況を述べていきたい。『日本書紀』には東遷の状況が詳述されており、その史実性を検証したい。第5章では、『空白の世紀』を倭王讃(応神天皇)がどのように解消していったのかを、これも『日本書紀』の記述を中心に追っていきたい。そして第6章では、東遷後の筑紫の状況を述べてみたい。
第7章では、飯豊天皇と手白髪皇女が、「倭国特有の双系継承社会」を背景に天皇になった状況を見ていきたい。
神功皇后と応神天皇がヤマト王権にもたらした、女性の政治参加ならびに、結婚をしていない男性は即位できない状況を確認したい(双系継承は、夫婦で継承する。次世代にその夫婦の子供が継承することが継承条件で子供が望めなく、また妻の系統が不明確な独身男性は即位できない)。
第8章では、「倭国特有の双系継承社会」が光仁天皇まで続いて、なくなってしまったことを述べたい。
私の妻は、社会学のジェンダー専門の学者である。
日本の古代史は江戸時代、男系オンリーの儒学全盛時代にその骨格が作成され、それ以降の歴史学者も男系継承にこだわった。よって古代史の男系継承から双系継承社会への転換が十分になされていない。
『日本書紀』と高校の歴史教科書を比較して、はっきりと視点がずれていると感じた。天照大神が何故女神なのか、インカ帝国・エジプトの双系継承との比較・分析も全く行われていない。
例えば現代の日本古代史は清寧天皇が即位していないことに踏み込めていない。清寧天皇は独身であり、双系継承社会では、原則夫婦ではない男性は即位できない。
父系・母系が同族の夫婦が地位・財産を相続するのが双系継承である。独身というのは、妻の系統が不明で、継承条件を満たさないのは明らかである。双系継承で夫婦の承継者がいない場合、代理で天皇を務めたのは女性であったようで、清寧天皇在位の間、実際に皇位にあったのは、飯豊天皇であった。
前記のように双系継承を通して古代史を見ると新発見が続く。その最大の事象が邪馬台国東遷である。