【前回の記事を読む】サーチライトに照らされた仲間の船は、次の瞬間、跡形もなく沈められた…陸までの距離はおよそ5km、“追手”が気づくのも時間の問題で……

プロローグ

今回の海を渡って捕まった九人のように、本土に密航しようとして命を落としたり、連行されたりした高齢者は数多く存在する。

それにしても、九人の居場所はなぜこうも早く見つかってしまったのか。種明かしをすると、実は初めから脱州を企てている者は九人だけで、他の十一人は本土のスパイだったのだ。

船ごと消えた十人も、サメに飲み込まれたと思われる男もスパイ。サメのように見えた影も、本土の潜水艇だった。

政府は蜂起と同じくらい脱州を警戒していた。特に、沿岸部は州から針一本漏らすことのないよう徹底的に固めている。州の内情が外に知れ渡ったら、国内外からどんな批判を受けることか。政府とて、政策の非人道性を分かっていないわけではない。

脱州そのもののみならず、計画段階での対策も抜かりはない。州のあらゆる高齢者に脱州の不可能性を刻み付けるため、泳がすだけ泳がせて、あと一歩のところで手を下す。

そして、いわゆる「北の果て送り」にして、州の全ての高齢者に「脱州など無駄な抵抗」「あのザマなら州に骨をうずめた方がマシだ」と思い込ませるのだった。

第一章 諦念

「一体、毎日何をして過ごせばいいんだ?」

根澄進一(ねすみしんいち)の身体は、部屋の中央のソファに横たえられていた。この姿勢のまま、もうどのくらいの時間が経っただろう。

ふと、隣の部屋で音がした。妻の初音(はつね)が一日を開始する音だ。進一は顔を曇らせた。そして、億劫そうに身体を起こすと、とぼとぼと部屋を出ていくのだった。

長年勤めた地方の役所を六十で定年し、ずっとこんな日が続いている。最初は「やっと自由だ」と思った。だが、突然手渡された自由は孤独も同然だった。趣味も無く、人付き合いも無く、人生にさしたる目標も無い。虚ろな日々の連続である。

進一は今日も近所の公民館へ向かった。定年してから毎日のように足を運んでいる。朝が来ると、外へ出掛けないと落ち着かない。長年勤め人をやってきた人間の悲しい性だ。

日当りのいい共有スペースに足を踏み入れると、ラックから適当に新聞を抜き取り、いつもと同じテーブルの一角に座った。ふと周りを見渡すと、四人の男の姿が目に入った。

皆、進一と同年齢くらいだ。いつもと同じ顔ぶれで、これまたいつもと同じ場所に座っている。たぶん心の中では互いのことを「いつもの顔」と呼んでいるに違いない。

そうやって互いの存在を横目で確かめ合い、苦渋の境遇が自分だけでないことを慰めとしているのだ。

皆、黙々と新聞や週刊誌に目を落とし、誰一人として言葉を交わすことはなかった。