戦時中とはいえ、樺太はまだ比較的平穏だった。
「春、雪が溶け始めると、すぐその下にフキノトウや福寿草が待っている。
風の吹き回しによって、雪の深いところや浅いところがある。
浅いところから次第に雪が溶け、黒々とした大地が現れてくると、半年の間、雪の下で待ち焦がれていた福寿草の群れが目も覚めるような黄色い爽やかな姿を、そこかしこに現し、菰(まこも)をかぶったようなフキノトウが、顔を出してくる。
強烈な春の日光と爽やかな南風によって、こよなく新鮮な春のたくましい息吹が次第に漂い始めると、真っ白な冬の銀世界は日一日と姿を消してゆき、野は次第に色づき、スズメやヒバリもやってきて、春の調べを奏でるようになる」
そのような樺太の春に、私は生まれた。ホッとした母の傍らで、父が万感の思いでシャッターを切ったのであろう。小さな1枚の白黒写真が残っている。
お産婆さんが、たらいの中で産湯(うぶゆ)に浸(つ)かる赤子(あかご)を支え、喜びに満ちた曽祖母きくえが赤子の顔を覗き込む。そんな写真だ。
曽祖母とお産婆さんと私
1944年の4月8日のことだった。
美栄子と名付けられた私が誕生し、一家は、ますます希望を持って前進していくはずだった。
しかし、両親の幸せな人生は、父31歳、母27歳まで。結婚からわずか1年で、二人は歴史の渦に飲み込まれていく。