【前回の記事を読む】ハリウッドで活躍する特殊造形アーティストが語る「ものづくり」の土台――それは幼少期に祖父を真似た“ある体験”だった。
第二章 田舎育ちの映画少年
誰とも違う道へ、アメリカ留学への挑戦
しかし、学校の先生からは慎重な意見もありました。
「日本の大学に進んだほうが将来安心ではないか」というアドバイスを受けるたびに、「やはり、みんなに合わせるべきなのか」と自分の決意が揺らぎそうになる瞬間もありました。
それでも、自分の思いを言葉にして伝えることで、最終的には応援の言葉をもらうことができました。
英語は大きな壁でした。高校では英語が得意科目で、いつも平均点以上はとっていましたが、実際には読み書きが得意なだけで、話すことや聞くことはとても苦手でした。
いざ英語を話そうとすると、頭の中の日本語をうまく英語に変換できず、考えても言葉が出てきませんでした。こんな状態で本当にアメリカで生活できるのか――漠然とした不安がありました。
また、クラスメイトたちが東京の大学進学を目指す中、自分だけが将来どうなるかも分からない他とはまったく違う道を目指しているという孤独感もありました。
「この選択がもしうまくいかなかったら、自分の将来を棒に振ってしまうのではないか」という葛藤が、何度も私の心を揺さぶりました。
そんな中、サンフランシスコ州立大学に留学していた知り合いの紹介で、東京にある留学代行業者を頼ることにしました。自分だけで海外の学校を探すのは困難だと感じていたからです。
長野からバスで4時間かけて東京に行き、留学カウンセラーとの打ち合わせを重ねました。自分の興味や目標を伝えた結果、映画学科があり、特に留学生へのサポートが手厚い短大を紹介されました。
その学校のパンフレットを手にしたとき、「ここなら自分の夢に一歩近づける」と感じ、最終的にその学校を選ぶことに決めました。
また、TOEICという英語能力試験の勉強にも取り組みました。東京の試験会場まで行き、慣れない環境で試験を受けるのは緊張感に満ちていましたが、それ以上に新しい世界への扉を開ける準備をしているという実感が自分を支えてくれました。
やらない後悔よりも、挑戦して得るものを信じたい――そう考えることで、不安を抱えながらも前に進む決意を固めました。
留学の手続きや現地情報の下調べなど、初めてのことばかりで戸惑うことも多かったですが、そのたびに「これが新しい世界への第一歩だ」と自分に言い聞かせました。
期待と不安が入り混じる中、それでも行動を続けることで新しい道が開けるという実感を得ていました。
こうして、私は長野の田舎町からアメリカという広い世界へと飛び込む準備を整えました。高校の卒業式の後に、クラブ活動で仲が良かった友人たちが留学の決意を祝って送別会を開いてくれたことは、今でも強く心に残っています。
人生において何かを成し遂げるためには、最初の一歩を踏み出すことが何よりも大切だということを、この経験を通じて学びました。