亀島のことが浮かんだ。
バターチキンカレーを頼んで、でも私のキーマを1口もらった亀島。写真の前で「人の気配がないのに人の匂いがする」と言った亀島。本の話をする時に声のトーンが変わった亀島。あの声は私に「どう思う?」と尋ねてきた。本当に知りたそうに。結果を求めてではなく、ただ私の意見が知りたそうに。
打算なく仲を深めていれば、長い沈黙さえも苦にしない初めての友人ができたかもしれないのに。今からでも連絡できる。できるが、できない。密告したのが自分じゃないとかまととぶって連絡できるのに。できるのにしない。その感情を己の短絡的な欲望で塗りつぶした。全部私がやった。全部私がやったことだ。
今からでも連絡できるはずなのに。
できるのに。
あの夜、亀島の背中をさすっていた手が計算でできていたとして、でも少しだけ、本当に少しだけ、そうじゃない何かで動いていた気がするのだ。その感触が今夜だけ鮮明に蘇ってくる。
なぜ今夜なんだ。
なぜあの部屋で感じた感触を今夜になって確認しようとしているのか。既に手遅れなのに。
手遅れになってから大切なものの輪郭がはっきりする。人間というのはいつもそういう生き物だ。抜けた歯のくぼみをずっと舌でなぞり続ける。そこにあったものを確認し続ける。でも歯はもう生えない。
この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば。
中学の古典の授業で暗記した藤原道長の歌を、今また思い出した。満月を見上げながら「この世は全部俺のもんだ、欠けてるもんなんてない」と歌い上げる清々しいほどの傲慢さが好きだった。あの頃の私にはまったく縁のない感覚だったから、余計に。そして、T高校に入った頃には「今なら気持ちがわかる」と思っていた。
でも藤原道長は晩年、糖尿病を患っていたらしい。当時の記録に残っている。ひどく喉が渇く、痩せていく、視力が衰える、そういう症状が書き留められている。その道長が詠んだ歌だ。
この世は欠けていない、と歌い上げた道長の身体は、実はじわじわと内側から壊れていたのだ。欠けていないと言い聞かせるほど、欠けることへの恐怖があったのかもしれない。強がりでしかなかったのかもしれない。満月だと言い張るほど、月が欠け始めていることに気づいていたのかもしれない。
今ならその解釈に骨の髄から共感できる。
欠けていないと叫ぶ声が大きいほど、欠けているものの輪郭が鮮明になる。この世は全部私のものだ、居場所がある、認められている、愛されている。その言葉を反復する夜ほど、反対側にあるものがはっきり見える。
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