【前回の記事を読む】「アダム・スミス、ありがとう。カール・マルクス、くそくらえ。」私がそう感じた瞬間は……
9.友だちを殺してまで
ある夜のことだ。
亀島から「家来れる?」とメッセージが来たのは夜の9時過ぎだった。文面に句読点がなかった。句読点がない文章は大抵、感情が先走っている。
こういうメッセージを送ってくる時の人間の状態は、大体2パターンだ。テンションが上がっているか、限界が来ているか。9時過ぎという時間帯を加味すれば、後者の可能性が高い。
行った。
亀島の部屋は高層マンションで、事務所が借り上げているやつだった。内装は本人の趣味が強く出ていて、本棚が壁一面にあって、あとは最低限の家具しかなかった。物が少ない部屋に住んでいる人間は大抵、頭の中に物が多い。
テーブルにはすでにワインが開いていた。グラスが2つ並んでいたから、私が来ることを想定していた。想定して、でも来てくれるか分からなかったから、句読点が消えたのだろう。
私は座って、グラスを受け取って、何も聞かなかった。
亀島は最初、他愛のない話をした。
最近読んだ本の話。撮影現場でスタッフが言った面白い一言。そういう話を15分くらいした。それは本当に話したいことでないのは誰の目から見てもはっきりとしていただろう。ジャブもジャブだった。
私は相槌を打ちながら、待った。待つのは得意だ。人間は黙っていれば、必ず喋り始める。
2杯目のワインを亀島が注いだ頃、話が変わった。
「ねえ、千晴って、誰かのこと好きになったことある?」
唐突な質問だった。
唐突だったが、この質問が来ることは予感していた。
こういう夜に、こういう顔をしている人間が、飲みながら聞くことは、恋バナか愚痴のどちらかと相場が大体決まっている。
「ある」と私は答えた。
嘘だ。好きになる、という感情の定義が私にはよく分からない。でもここで「ない」と言うと話が止まる。
「どんな人だった?」
「趣味が合って、頭が良くて、私の言うことを否定しない妙に優しい人」
実在しない人間の特徴を、でたらめに並べた。でもでたらめのわりに、妙にリアルなプロフィールになった。誰かがよぎりそうでよぎらなかった。
「素直に好きって言えた?」
「言えなかった」
「なんで?」
「怖かったから」
でも亀島は頷いた。頷きながら、自分の話を始めた。