それならいっそのこと、こんなふうに考えてみたらどうでしょうか? 500年後の世界の話だと思うけど、結論から申し上げます。我々は、将来は「施設」と「在宅介護」の両方を視野に入れなくてはならないのかもしれません。両方見て、更に違う前提を持たなくてはならないと思います。

ご説明しますね。今この社会においては、要介護の人たちに対して、人を集めるかたちの「施設」で一括で面倒を見ることを選びました。効率の観点からして当然です。

だけど、そうじゃなくて全員一律に「在宅介護」というかたちを発展させたものを目指したら良かったのかもしれない、と思います。今となってはもう遅いのか、それとも早過ぎるのかもしれませんが(たぶん早過ぎる)。在宅介護の欠陥は今のところ甚大です。だけど、打つ手がないというわけでもありません。

確かに在宅介護の負担具合は大きいです。在宅であろうとなかろうと、介護というものには発展性がありません。良くて現状維持、普通は段々悪くなっていくものです。あまりの将来性のなさに絶望してしまいます。

在宅だからこそ故(ゆえ)、いつでも一人きりです。一人ぼっちで抱え込まなくてはなりません。齢を取ると人間というものは、やがて赤ちゃんに還っていくのです、退化する赤ちゃんへと。育児は大変です。だけど発展があります。それを楽しみに頑張れます。終わりも明確にあります。だけど介護には発展はありません。おしまいはあるけど、いつのことだかわかりません。

思わず「早くおしまいになれ」と思う自分に対して自己嫌悪を催してしまいます。介護疲れを引き起こします。私レベルの者がいくら吠えても、当事者にしか見えない問題も辛さもあります。ただひたすらに排泄物との闘いの日々。毎日毎日その繰り返し。精神健康に逆行してます。ワンコでも飼ってる? 散歩させたら排泄物はあなたの責任。

だけど、介護される立場(ポジション)から言わせてもらえるなら、家族と介護士さんとでは、介護されてても安心感が決定的に違います(家に帰っても誰もアテにできない俺は例外だけど)。

介護する人の負担は当事者にとっては当事者だけにしかわからない隠された大問題なのですが、家族による介護、あれは心から安堵します。あれは介護ではないのです(詳しくはラストの一行にて)。介護士による介護なら安堵しません、できません。助かるけどできません。

 

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