【前回記事を読む】身体障がい者が支援者に「困ってることはない」と醒めた顔で言う本当の理由──当事者が語る“無意識”とは?

長過ぎるブログ1 ステルス心外

それに対して、「コミュニケーションが大切だ」なんて施設独自の方法論を説いたり、スローガンを掲げたりして働く人の啓発を試みたり、施設としてはあれこれやろうとはしてくれてるんだろうけど、身障者の私から見るとどこか焦点がずれてます。

それが証拠に、成果がちっとも挙がりません。立派な「行動指針」だけがただ虚ろに響きます。もしやれたら本当に立派なんですけどね。

身障者としては、やってほしいことややりたいことが問題なのではなくて、どうして自分が今ここで暮らすのかが「心底から」わかってないのです。やってほしいこと、そんなものはありません。いくらコミュニケーションが巧みでも、そこには何もありません。無人の洞窟に向かって「誰かいませんかぁ!?」と叫んでるようなものです(たとえいても返事なんかしないな)。

わかった顔してわかってないのです。教えてほしいというほどのことじゃないにせよ、せめて聞きたいのです「どうしたんだ? 俺は?」。先程の「醒めた表情」のことですが、答えた身障者は決して嘘をついてるのではありません。何かの違和感を感じつつ「特にありません」と答えているのです。それが「心外」です。自分がわかってないことがわからないのです。

またまた先程の質問の本心バージョンですが、この施設に暮らすのはどうですか? 「自分がなぜここにいるのかが今一つ納得できない」。

生きやすいですか? 「なぜかは知らねど、どちらかというとそうでもない(生きにくい)、おおっぴらにはできないけど」。

過ごしやすいですか? 「過ごしてるつもりがない、たまたまここにいるだけだ」。

何か困ってることはない? 「別にぃ、仮住まいに困り事なんてない」。

やってほしいことはどんなこと? 「俺にだけもっとかまってくれ、つまんないから。他人がつまんなくてもそんなこと関係ない」。

不適切介護に相当すると思うことはない? 「やり方じゃなくて介護士による介護そのものが不適切、俺はやろうと思ったら自分でやれる(やれないけど)、家族による介護ならどう扱われようが不適切とは思わないに違いない。家族ならそこんとこわかってくれるはず」(はず?違うけど)。

同性介護を希望しますか? 「そんな場合じゃない」。これらの返事の仕方は私のことじゃありません。中途身障者として、身障者の気持ちを代弁してみました(うまく表現できたかな?)。