【前回記事を読む】「不適切介護に相当すると思うことは?」規則で聞いてくる看護師に…さめた表情で答えた。
長過ぎるブログ1 ステルス心外
身障者のことを全般的にも個別にも考えてくれてるのには、感謝しかありません。しかし我々身障者は、いつの間にか無意識なままの特権階級意識に蹂躙(じゅうりん)されてしまってるのかもしれません(一個人としてあってはならないことだけど)。「私は身体障がい者だ」という奇妙な特権に。
人間というものは、置かれた環境にだんだん慣れていってしまうものなのです。良い意味でも悪い意味でも。中でも、自分にとって都合が良いことなら尚のこと。「それくらいやってもらって当然だ。いつもやってくれてるじゃない? だって私は身障者、不自由なんだ」なんて具合に。
その一方、自分にとって都合が悪いことには口を閉ざします。私も例外なんかじゃありません。これは「甘え」だな。
これに対して、支援してくれる介護士さんに感謝するのは当然なのですが、中には感謝度合いが足りない人も、知らん顔する人も、感謝するふりをする人もいます。大抵の人は「よくわかんない」。暮らしやすいかと問われてもそうでもない。
しかし「そうでもない」と答えるのも何となく憚(はばか)られるし、何が問題なのかがわからないのです。一体このあってはならない感謝不足だとか冷たい表情の理由は何なんでしょうか? その理由はとても意外なところにあるのではないかと思います。
その答えを一言で言うなら、私はそれは「本人も気付かないうちに心外に思ってる。しかも、心外な気持ちがレーダーには映らない。直接目で見れば見えるけど、事前に察知できないからステルス爆撃機に爆撃される」からだと思います。即ちそれが「ステルス心外」です。うーん、何が心外?
身障者は、自分から進んで「施設に入りたい」と思ってやって来た人はほとんどいないと思います。「これが私の生き方だ」と言いながら施設にやって来た人でさえも、何らかの前提があったと思います(人がいないなど)。そういう意味では、ほとんどどころかほぼ全く存在しないかもしれません。
「状況を考えたら、今の住まいから離れることもやむを得ないから」とか、「両親が年老いた今、もうこれ以外に選択肢はないから」とか、施設に来ようと思った理由は人によって様々だけど、本人的には少なからず嫌々入所したと思います。仕方なく入所したと思います。
この施設かこの施設じゃない施設か、という個別の問題ではありません。施設と呼ばれるところに入るか入らないかという、全般的な問題です。