【前回の記事を読む】「芸能界に興味あるんでしょ?」若いホステスとホテルへ入った既婚男。満足げに横たわっていると、彼女はバッグから“あるもの”を取り出し…

8.THE WORLD IS MINE

「今の、奥さんに聞かせたらどう思います?」私はゆっくり言った。

「コンプライアンス部署にも。現役女子大生との、こういった関係について。性的な同意の有無について。私が声を上げれば、どうなりますかね」

高畑の顔色が変わった。白くなった。キャンドルの光の中でも、それははっきりわかった。肌が白いと表情の変化が見やすくていい。今度から良いファンデーションを買おうと思う。

「安心してください」

私は微笑んだ。接客用に磨いた、外向きの笑顔で。

「別に潰す気はありません。そんな面倒なこと、したくないですし」

「じゃあ、何が目的だ?」

「仕事が欲しいだけです。それだけです」

シンプルな話だ。最初からそれしか言っていない。言葉にしていなかっただけで、数ヶ月間の行動の全てがその1点を指していた。計算した着地点に、今夜着いた。それだけだ。達成感というより、確認だ。予定通りのことが予定通りに完了した。

高畑は黙った。長い沈黙だった。フレンチのソースの匂いが、空気の端に残っていた。

男が何を計算しているか、手に取るようにわかった。失うものの棚卸しだ。妻、子供、家、役職、業界での信用。

20年かけて積み上げたものが、1本の録音データで崩壊する可能性を計算している。

対して私には何がある。奨学金と、テニスサークルの幽霊部員としての籍と、読みかけの文庫本。そんなちっぽけなものしかない。チェックメイトと高らかに叫んでやりたい気分だった。

天秤の傾きは最初から決まっていた。設計の段階で、もう決まっていた。

「データを、消すのはいつだ?」

絞り出した声だった。

「私があなたに十分満足した時です」

「それはいつだ?」

「さあ。私次第です」

高畑の顔に、負けを認めた表情が浮かんだ。

見慣れた顔だった。中学の教室で何度も見てきた顔だった。

ヒエラルキーの底に突き落とした相手の顔と、この47歳の管理職の男の顔は、本質的に同じだった。年齢も立場も関係ない。力を失った人間の顔は、みんな同じだ。普遍的だ。国境も年齢も性別も超えて、同じ顔になる。人間の設計がそういうふうになっている。気持ちがいい。