私自身の例を挙げましょう。中学生のころにつけていた日記には、ある教師への怒りが綴られていました。
その教師は、戦地に送り出した教え子たちを、戦後すぐに「犬死」と呼んだのです。私はその教師を「絶対に許せない」と書いていました。
しかし、大学生になってからの日記では、その教師もまた国家の犠牲者だったのではないかと、同情の言葉を記しています。同じ出来事でも、時間が経てば見え方が変わるのです。
中学生だった私は、忠君愛国の思想に染まっていました。しかし卒業後は民主主義の教育を受け、まったく異なる価値観に触れました。その変化は、決して単純なものではありませんでした。
それまで「正しい」と信じていた軍国主義が否定され、「間違っている」と思っていた自由主義が「正しい」とされる――、この逆転は、私にとって大きな苦しみでした。
しばらくの間、私は二つの思想の間で揺れ動きました。忠君愛国の教育は骨の髄まで染み込んでおり、簡単には変えられなかったのです。
しかし、こうした葛藤こそが、人間の成長なのだと思います。
成長とは、過去の自分と今の自分が対話し、時に対立し、時に妥協しながら変化していくことです。私の場合も、古い自己と新しい自己――、二つの自己が存在し、それぞれが異なるからこそ、成長が生まれたと思います。
だからこそ、人は自己を再発見し、再評価することができる。自分の生き方を確認し、これからの人生へとつなげていくことができるのです。自分史とは、そうした自己成長の記録なのです。
「二つの自己」と聞くと、エドガー・アラン・ポウの『ウィリアム・ウィルソン』や、スティーブンソンの『ジキル博士とハイド氏』のような二重人格を思い浮かべるかもしれません。
しかし、私が言いたいのはそういうことではありません。人間は成長するにつれて、まるで別人のように変化する――、そのことです。自分が自分でなくなるような変化。この「自己否定」の過程こそが、ドイツの哲学者ヘーゲルの言う「成長」なのです。
だからこそ、自分史を書き続けることで、どんな過去も新しい視点で見直され、そこに新たな知見や言葉が積み重なっていくのです。それは、人生をより深く理解し、より豊かに生きるための、かけがえのない営みなのです。
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