【前回の記事を読む】暗闇のなか、自分の蝶を一つずつ壊した少年――そのとき彼は、どんな顔をしていたのか?
第一章 『少年の日の思い出』の隅をつつく
一 なぜちょうをつぶしたのか?
このシーンでの主人公は、どんな顔をしていると思いますか。苦笑いの表情なのか、懐かしい表情なのか、恥ずかしいと言っている通り羞恥心に満ちた表情なのか。
「世界観がぶちこわしにならない限り想像を膨らませるのは全然ありだ」と生徒には指導していますが、はっきりいって私にもよくわかりません。でも、どれもありだと思います。
「みんな違ってみんな良い」的な読み取りのできる、こういうシーンがやっぱり教えていて面白いですよね。
この「どんな表情だったと思うか」以外にも、毎回の授業の中で必ず投げかける質問が幾つかありますが、まずは発問一、「母親に諭されて、行きたくなかったエーミールのところに行きました。するとエーミールは『誰かがクジャクヤママユをだいなしにしてしまった、悪いやつがやったのか、あるいは猫がやったのかわからない』と言いました。どうやら主人公がやったことには気づいていないようです。さて、あなたならどうしますか?」
これに対する回答一は、「ごまかすか、きちんと告白するか」の二択であり、道徳的にどうかは別として、まぁどちらも「ありうる答え」でした。
これは発問としても答えるにしても、さほど難しくはないので、かなり重要だけどちょっとした授業の中のアクセントになる発問です。(ちなみに私は「できればごまかす」と答えるダメ人間に親近感が持てます。自分自身が意志の弱い人間だから、ということもありますが)
それに対し、九九%の国語教師がするであろう発問二「主人公はなぜ最後に自分の集めたちょうを粉々につぶしてしまったのか?」に対する回答二。
これがもう「みんな違ってみんな良い」の典型的な回答でして、逆に言えば「テストでは出せない問題」です。ワークそのままの問題を出していて、ワークの解答以外は認めないという先生もごく稀にいるでしょうが、これは明らかに「解答=〇×がつく」ではなく「回答=答えが一つに決められない」ですからね。