そして、着物姿も美しく、華道家らしく凛とした辻井先生が登場され、お正月を言祝ぐよう、能の三番叟(さんばそう)を表す花を、松と桐と菊とでいけられた。辻井先生は、翁が天下泰平を祈り、鈴を振って足踏みをする様を、桐の実を鈴に見立てていると説明された。

それから、嵯峨御流は毎年、皇居の歌会始めの御題に合わせ、御題花器を華務長が制作発表しており、今年の御題「語」に合わせて作られた、朱と白の台形が上下になって、上下とも花がいけられるようになっている花器が披露され、これは微妙に大きさの違う朱と白の台形が「語り合う」ように作りましたと辻井先生が説明され、その花器を三つ組み合わせて、松と紅白の牡丹を、花が語り合うようにいけられた。

秋川さんは、中学校の校長を定年退職されてから、娘時代に習った華道嵯峨御流を再び始められたお稽古仲間だった。若くにご主人を亡くされ、女手一つで息子さんを育て上げられた強い女性だった。

澄世の事を、自分の教え子のように可愛がってくれ、「太って着られなくなったから」とイタリア製のシルクの上品なグレーのドレスをくれ、澄世はこの日、そのドレスを着ていた。

帰りの新幹線の中で、秋川さんとたわいのないお喋りを楽しんでいた。

「今日は、息子がいる東京まで来たから、主人と一緒に来たの」と、ふと言われた。息子さんは仕事の関係で東京で一人暮らしをしていた。

「え? どこに?」
「ここ!」と秋川さんは、胸にかけているアンティークのロケットを見せた。ご主人の写真が入っているとのことだった。澄世は胸がジーンとした。そうか……。何十年たっても、愛する人は消えないんだ。澄世は胸がキュッと痛くなり、窓の外に目をやった。

三月三十一日(土)から四月一日(日)の二日間は、社中の七十周年記念華展が、阪急百貨店の阪急うめだホールで開催された。

華展の初日に和彦も来た。澄世は薄緑色にピンクの牡丹の花が描かれた着物に、銀糸の帯を締めていた。思えば、初めて会った日も着物姿で、牡丹の花があった。澄世はやはり着物が似合う……。ポーッとしている和彦に、澄世は自分がいけた荘厳華の説明を一生懸命にした。

「荘厳華って言うのは、真言密教の六大、つまり宇宙を構成している六つの要素、地、水、火、風、空、識を、五つの役枝と中心の花で表すの。私がいけたこれは、桜を主に役枝が広がっていって、中心、懐(ふところ)って言うんだけど、ここに赤い薔薇をあしらっていけた荘厳華応用の『不二(ふに)の花』って言う花態なの」

説明の意味は簡単にはわからなかったが、和彦が観ても、桜の枝がのびのびと四方に張り出し、器の上の中央にある赤い薔薇が印象的で、上手な花だと思った。だが、もともと仏前を飾るこの荘厳華に、澄世が秘かな献花の心を込めた事は知るよしもなかった。