深夜のトイレ介助の過酷さ

肩の骨折から三年後の九十五歳の頃(2006年)の十一月中旬にベッドから滑り落ち畳の上で尻餅をついた。それが原因で背骨の圧迫骨折からくる痛みで寝込んでしまった。

レントゲン写真では母の背骨は腰付近でグシャグシャにつぶれていて、医者も今回の圧迫骨折がどの部分か特定できないと言う。歩行時に背中が「くの字」に曲がるのも骨の状態から自然なことだった。これまで何度の圧迫骨折をしたのだろうか?とも思う。尻餅をついての転倒が多かったが、痛くなかったのだろうか?

医師の説明では高齢で手術もできないから放置して痛みが消えるのを待つしかない、というものだった。そして痛みが取れたら、それまでの寝込みのために筋力が衰え、トイレ介助が不可欠な毎日が続いていた。布団を母の隣部屋のリビングに持ち込んで夜間の介護に備えた。

男一人でするこの作業は肉体的にも精神的にも負担が大きく、介護される母の体調が良くなるにつれて介護をする私の身体には疲労が蓄積していく。さらに、十分な介護ができなければ母の「興奮」状態も頻発し、それが介護者を追いつめていく。いわゆる介護地獄の入り口に足を踏み入れたのではないかと不安がつのり始めていた。

昨夜は引っ切りなしに起こされてほとんど一睡もできなかった。母も当然のこと、寝ていないのだ。午前一時頃から七時までの間だ。私としては最も貴重な時間を奪われた感じである。

我が家ではリビングにエアコンが設置されている。そこからの温風は隣の和室の母の部屋に流れるわけだが、常にふすまを閉めるのが母の習慣だった。昨夜は「ふすまを開けて」という。少し開けると「もっと」という。リビングに布団を持ち込んで寝る私の寝姿が確認できるまで開けて母は納得した。母の精神的不安感を垣間見た思いだ。

その結果、普段より温風が多く流入することになり、「暑い、暑い」と羽毛布団を蹴っ飛ばし、パジャマも脱いで半裸になってしまった。「うん」とか「あー」とかかけ声をかけつつ身体を動かしているものだから、ウルサくて仕方ない。

風邪を引くとまずいのでパジャマを着てもらい温度設定を下げると、今度は「寒い」「寒い」と言う声で起こされた。母の足は氷のように冷たくなっている。腰を痛めた頃からの症状だ。着物の端切れで母が元気な頃に作った小豆入りの「ホットパッド」を電子レンジで一分間のチンをして、足もととお腹に載せて

「気持ちいい?」と聞く。

「足が温かくなってきた」

少しは精神的不安感が和らぐだろうと思った。

次回更新は7月29日(水)、20時の予定です。

 

👉『九十歳直前から始まった母の十三年介護』連載記事一覧はこちら

【イチオシ記事】「何も気づかなくてすみません…」彼はそう言って、彼女の唇を何度もついばんだ。だが胸が高鳴ったのは、キスのせいだけではなく……

【注目記事】2年間続いた不倫関係…飲みの席で発覚したのは、“自分はセフレでしかなかった”という事実。相手の男は他にも2人の女性と関係を持っていて…

 

ゴールドライフオンラインは、表現者を応援するウェブメディアです。
生身の人間が紡ぐリアルな言葉だからこそ、読者の心を揺さぶる力があると確信しています。
あなたも、"表現者"になってみませんか?
ゴールドライフオンライン編集部:glo_henshu@gentosha.co.jp