ちょうど私がクラスを掌握した初夏の頃、本山優子が学校に来た。
昼休み、廊下の窓から校門の前に見覚えのある人影を見た時、内臓が縮む感覚がした。条件反射だ。パブロフの犬。あの人を視認した瞬間に、私の身体は防御態勢に入るようプログラムされている。長い時間をかけて刷り込まれた、もはや削除できない反応。熱いヤカンを触ったら脳を介さず手を引っ込める脊髄反射のようなもの。
あの人は校門から職員室へ、おそらく一直線に向かったのだろう。私の友人から「お母さん来てるよ」という連絡が来た時、私は既に手遅れを悟っていた。もう私が成す手はない。
後から聞いた話を再構成すると、こういうことらしい。
化粧品の化学物質について。バレていたのか。そして、そんな無駄な洞察力はあるのに、危険で眉唾な思想にはまるのはなぜなのか。
娘が最近帰ってこないことについて。最近、少しでも母の残滓を消すために友人関係にある人間の家に泊まらせてもらっている。週に2度3度。母から離れられることは落ち着くというか、自分自身がニュートラルな位置に戻った感覚に近い。
これを放置する学校の責任について。そんなの学校が知ったこっちゃないだろう。
担任の苦笑いの様子は、翌日には私の耳に入ってきた。人の口に戸は立てられない。情報は勝手に走る。これは中学でも学んだことだが、高校でも変わらない。むしろ速度が上がった。
「本山のお母さん、ちょっと変な人じゃない?」
誰かがそう言った。誰かという曖昧な言い方をするのは、本当に誰だったか覚えていないからだ。でもその言葉は空気に溶けて、広まった。
私は笑いながら先手を打った。
「うちの母親、ちょっとアレなんだよね」と言った。
「自然派すぎて、普通の感覚と少しズレてて」と言った。
ズレている、という言葉で。それはそれは厚いオブラートに包んだ。完全な否定もせず、かといって肯定もせず。絶妙な曖昧さで包んで、話題の熱量を下げる。これは中学でも使った技術だ。
次回更新は7月28日(火)、16時の予定です。
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