【前回の記事を読む】家に帰っても家族団らんなどなかった…15歳の私は菓子パンで飢えを凌ぎ、母の「教育」に背いて、証拠を消しながら……
6.異次元の暮らし
あの人が作る料理なんて、食べ盛りの高校生でも箸が進まないほどの有り様。味を指摘したら、「じゃあ食うな」と突き放されるだけ。だから、ここ数か月私は雀の涙ほどの小遣いをはたいて菓子パンでも食べている。
その結果、最近体重を測ったら3kgも落ちていた。図らずもモデル体型へと変貌した。これは皮肉だ。
高校の話題に話を戻す。
新しい教室に入った時、私はすぐさま全員をスキャンした。
誰が中心で、誰が周辺で、誰が孤立予備軍で、誰が道具になりうるか。このスキャンが完了するのに3秒くれれば、十分だ。
人間というのは驚くほど読みやすい。姿勢、視線の動き、スマートフォンの持ち方、鞄のブランド。目に入る全部が情報だ。言葉は後からついてくる。言葉はいくらでも嘘をつくが、身体は正直だ。
リサーチは高校でより精密になった。
中学生よりも高校生の方が、SNSに多くを投稿する。
より繊細なことを。より無防備に。
フォロワー数への執着。投稿のタイミング。いいねの数が少ない日の翌朝、少し遅れて学校に来るパターン。全部読んだ。全部情報としてキャッチにした。
ネットリテラシーについての授業なんて義務教育の内にさんざっぱら受けさせられたのに、人間は承認欲求の前で本当に無防備になる。鍵もかけずに内側を晒す。軽々しく恥部をあけすけにさらけ出しているようなものだ。
標的を選んで、動いて、クラスの空気を掌握するのに2か月かかった。むしろ2か月でクラスを牛耳れたと誇りに思うべきか。学生にとって全てと言っても過言ではないコミュニティをすぐさま掌握されるなんて恥ずかしくないのか。それもこんな小悪党に。
外見というのは、社会的な通貨だ。S中学で学力を通貨として使ったように、T高校では外見も同時に展開する。二重の通貨。二重の武器。顔面のポテンシャルをフルに引き出すことで、人間関係の構築速度が体感で3倍になった。人間は美しいものを信用する。これは本能だ。倫理でも論理でもなく、本能。だから責めても仕方がない。ありがたく利用するだけだ。
この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば。
中学の古典の授業で習った時、私はこの歌を暗記した。暗記させられたからじゃない。意味が好きだったから。
満月を見上げながら「この世は全部俺のもんだ、欠けてるもんなんてない」と歌い上げる清々しいほどの傲慢さが、気持ちよかった。あの頃の私にはまったく縁のない感覚だったから、余計に。
今ならわかる気がした。
成績は学年トップ圏を維持した。これだけは妥協しなかった。家が転々としても、試験前は図書館かファミレスに籠った。参考書を広げて、コーヒーを一杯だけ頼んで、夜中の2時まで問題を解いた。
家が転々とする、というのは、説明が必要かもしれない。