彼女の言葉が、答えを提示していた。でも私はその答えを受け取ることができなかった。受け取り方が分からなかった。10年以上かけて作り上げたこの回路が、戦う相手のいない空間でも戦い続けているとしたら、それを止める方法を私は知らない。
知らない、という事実が、今まで感じたことのない種類の重さで、胸の中に落ちた。
岩塚玲子はまたブラシを手に取った。最後の仕上げをする手の動きは、変わらず正確で、無駄がなかった。
「嫌なことを言いましたね」と岩塚玲子は言った。その声色は先ほどまでの調子を取り戻していた。
「いいえ」と私は言った。
完璧な発音で。完璧な声のトーンで。
でもそれが完璧であることを、今日初めて、少しだけ重たいと感じた。
鏡の中の顔に、私は何も言えなかった。
言うべき言葉を、持っていなかった。
6.異次元の暮らし
T高校の制服は、S中学より少しだけ上質だった。
生地の厚みが違う。縫い目の細かさが違う。でも着ている人間の中身は変わらない。箱が違うだけで、中身は同じ15歳16歳の、承認欲求と性欲と虚栄心の塊だ。私もその一人だ。否定する気はない。
そんな醜い欲望渦巻く人間がそれほど合理的に物事を考えられるとは思えない。青春という聞こえのいい言葉にかまけて、その実態は自分より上位の存在に媚びへつらって、下の存在を詰る。旗揚げゲームのような、はたまたライン工のような。
では高校生にとって上位の存在になりあがるためには何が必要か。単純。良い外見だ。それはより良い子孫を残そうとする生殖本能なのか、少女漫画で取りざたされるようなトキメキというやつなのかは皆様のご想像にお任せするが、これがもし後者であったら、私は喉笛を鉈でかっ切ってやろうと思う。
私は外見というやつを新たに磨き上げた。
入学式の朝、私は鏡の前で7分間費やした。
アイライナーでまつ毛の生え際あたりに線を引く。
初めてだった。ドラッグストアで買った1200円のやつ。本山優子が生涯をかけて憎んだ、化学物質の結晶。
引き終わって鏡を見た時、でも今まで封印されていた顔の呪縛が解けた。
こんなものを禁止されていたのかと改めて不思議な気持ちになった。みんなが当たり前に使っているものを。
中学生がコンビニで買える程度のものを。
でもあの人にとっては毒だった。毒を塗りたくった娘は、穢れた存在だった。
じゃあ好きなだけ穢れてやる。Thank you for your kindness.おかげでいい顔になったわ。
もちろん家に帰る前には落としてなんてことない顔で帰宅した。帰宅したからって家族団らんの時間などなく、1人で適当に買ってきた菓子パンで飢えを凌ぐくらいだ。あの人が見たら、身体に悪いと捲し立てるだろう。知ったことか。
次回更新は7月27日(月)、16時の予定です。
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