次の沈黙は、さっきと種類が違った。
私は沈黙の中で、T高校の記憶を引き続き掘った。岩塚という名前。岩塚玲子。
1年のクラス。2年のクラス。
出てきた。
薄く、輪郭だけ。でも確かに出てきた。
目立たなかった。成績は中程度。友人は少ない。特定のグループに属していない、周縁にいるタイプ。私のリサーチの射程に一瞬入ったが、標的として選ばなかった。選ばなかった理由は、リターンが少ないと判断したからだ。
でも、完全にフリーだったわけでもなかった。
私が直接手を下さなくても、空気は伝播する。私が群れの中心に立って設計した空気は、私の意図を超えて広がる。標的として選ばなかった人間にも、その空気は届く。届いた先で何が起きたか、私は管理していなかった。管理する気がなかった。
高校入学後、不登校を経験。
私の背骨のあたりで、何かが静かに動いた。動いたが、表面には出さなかった。
「高校、途中で行かなくなったんですね」と私は言った。
「ええ」と岩塚玲子は言った。
「いつ頃から?」
なぜそれを聞いたのか、自分でもわからなかった。聞くべきではなかったかもしれない。でも口から出た。
「1年の、秋口です」と岩塚玲子は言った。
「最初は行けない理由が自分でもわからなくて」
ブラシの動きは止まらなかった。手と口が独立して動いている。
「朝になると身体が動かなくなる。熱もない、痛くもない、でも動かない。最初の一週間はそれが続きました」
「そういうことがあるんですね」と私は言った。完璧に自然な声で。完璧に。
「あります」と岩塚玲子は言った。
「身体の方が先に知っているんだと思います。頭が理由を言語化する前に、足が止まる」
足が止まるという言葉。
私はO中学で、同じ経験をしたことがある。
朝、制服を着て、玄関で靴を履こうとして、身体が固まった日のことを覚えている。あの感覚は今でも指先で再現できる。靴紐を結べなかった、あの朝の温度。
岩塚玲子が経験したことと、私がO中学で経験したことが、同じ種類のものかもしれない、という可能性が頭をよぎった。
よぎったが、私はそれを即座に処理した。感傷は後でいい。
今は聞くことに徹する。
次回更新は7月25日(土)、16時の予定です。
【イチオシ記事】夫の新聞の山から「たー君へ♡ ……晴香より」という便箋を発見。今日も朝帰りの夫に〈晴香さんと一緒?〉とメールした。
【注目記事】「何だ、浮気の心配なんてないのかな?」安心した途端、妻の車に仕掛けたGPSが自宅から20キロも離れた町で止まった!
ゴールドライフオンラインは、表現者を応援するウェブメディアです。
生身の人間が紡ぐリアルな言葉だからこそ、読者の心を揺さぶる力があると確信しています。
あなたも、"表現者"になってみませんか?
ゴールドライフオンライン編集部:glo_henshu@gentosha.co.jp