1部:奄美大島と日本文化

縄文時代はなぜ長く続いたのか

素朴で原始的であった奄美社会

縄文時代は、一〇〇〇〇年近くも続いている。それにしても縄文時代の長期に亘る継続は羨ましいほどである。その理由として考えられることは、気候の安定や大きな地殻変動などがなかったことは勿論である。

さらに、個人や集団間の財の格差や文化(知識)程度の差が目立たず、「人は与えられた自然や人事環境に対して、皆自分と同じように反応するものである」とごく自然(漠然と)に感じ、信じて疑うことが少なかった故であろうと考えられる。

適当に恵まれた自然環境における過不足の少ない植物採集、狩り、魚とり中心の食生活においては、採集や捕獲手段の改善要求はそれほど必要がなかった。

また医療や衛生、栄養学などの未発達から寿命が短く、人口過剰や財の蓄積が自然淘汰で抑えられたこと。また目立った権力者が出現し難い環境であったこと。さらには、寿命が短いことで、社会保障や支援制度がほとんど必要とされなかったことなどが考えられる。

この様な社会環境は、筆者の幼少の頃の奄美社会と似たようなものである。

食物の大量な蓄積による格差が生じ難く、大規模な集団作業もそれほど必要がなく、山岳地形であったために行き来が少なく、離隔した各村(小集団(シマ))は、それぞれ自給自足の自己完結性の社会を営んでいて、シマ間の付き合いや行き来も少なく、争いもほとんどなかった。

働いた分だけの配当で満ち足りていて、寿命も六十歳前後と短く、支配権力者も不在であった。爺さんや婆さんが、年方(としかた)(年長者)として敬われ慕われた。大和(やまと)や中国大陸からの文明の到達が著しく遅れた島(化外(けがい)の地)であった。

したがって、意思を表現する文字の発達も遅れて、文字として表せない方言の使用が長期間続いた。ものごとは、経験を積んだ「年方」と対面して、主として身振り手振りによって、時間をかけて教えられてきた。それらの、習慣や知識を、順次次世代に伝えていくことで、生活の知恵や作法が受け継がれてきた。