【前回記事を読む】私が中学生の頃、奄美大島では学者や英雄を崇め、資格や学位を重視し、警察官が恐れられていた。それはその職に就いた人々が皆……

まえがき

明治新政府の基本政策として公布された「五箇条の誓文」にあった、「上下(ショウカ)心ヲ一(イツ)ニシテ、官務一途庶民ニ至ル迄、各其(オノオノソノ)志ヲ遂ゲ、人心ヲシテ倦(ウマ)ザラシメンコトヲ要ス」の標語が、相当遅れて奄美に入ってきたからでもあろうか。

しかし、明治社会は今日ほどには、メディアによる言葉や映像による連続した情報の刷り込みが、なかったと思えるのだが。ならばなぜ、この努力目標(人為的考え)が、すんなりと奄美社会に浸透したのか。それは、もともと奄美に、それを受け入れやすい生活環境(習慣)があったからではないのか。

なお執筆に当たって、個人名への敬称などは、原則として省略させていただいた。縄文系奄美人は、過去の境遇から臆病にも称号や階級などの冠に対して異常に反応しやすく、自身の冷静な判断に支障をきたすと考えたからである。また、読者におかれても、現実には存在しないものを在るとして感じたり、登場人物に対する先入見などにとらわれないための事前策でもある。

国名の表記に関しては、日華事変や日支事変における呼称は一部「シナ」、ただし、王朝時代の中国も中華人民共和国になってからも同じく中国とした。したがって、そのことを念頭において判断して頂きたい。また、李氏支配時代の朝鮮を「李朝」、大韓民国になってからは「韓国」とし、朝鮮民主主義人民共和国は「北朝鮮」と表記することにした。

「冥途行特急列車の阿弥陀那(あみだな)に置き忘れた手紙」として読んで頂ければ幸いです。