孟母三遷と孟母断機

孟子がこの決意に至るには、母の存在が大きい。孟子は幼くして父を亡くし、母に育てられた。孟子は、魯の国の有力者であった公族孟孫氏(もうそんし)の子孫ともいわれる家柄であったので、母は誇りを持って孟子を厳しく育てたのであろう。母は孟子の才を肌で感じ、自分の夢と希望を息子に託したのかもしれない。

「孟母三遷」は、母が孟子を育てる環境を見つけるのに、墓地の近く→市場の近く→学校の近くへと転居したことを指す言葉である。3度目に選んだ学校の近くの住まいで、孟子は、「礼儀作法の真似」を遊びとして育った。遊びとするからには、その日々の中で、学ぶことの楽しさを知ったのだろう。そして、学ぶには継続が必要である。

「孟母断機」という逸話が残っている。遊学から帰ってきた孟子に、学びが進んでいないと感じた母は、織っていた織布を断ち切って、学びを中途でやめるということはこのようなことであると戒めたという。それまでの努力が無に帰すということを伝えたかったのであろう。

孟子は孔子の教えを伝え、発展させる生き方を貫いた。少々無理な論法を使うことも辞さずに、この生き方を途中でやめなかったのは、母の教えに依拠(いきょ)している。

親孝行は、儒教における重要な徳目の一つであるが、幼くして父を亡くした孔子と孟子は、父に対する孝行は果たせなかったと思われるかもしれない。しかし、儒教では、親からもらった身体(からだ)を大切にすることは親孝行と教えている。これは、孔子の考えである。孔子は74歳まで、孟子は84歳まで生きた。2人とも父母への親孝行と思って身体を大切にしたのだろう。