プロローグ

 

今年も九月中旬過ぎまで各地で猛暑日が続いた。ようやく日本列島を覆っていた太平洋高気圧の勢力が衰え始め、秋雨前線が南下して秋の気配が漂いはじめる。

朝から良く晴れ、見上げると澄みきった青空が広がっていた。仄(ほの)かに秋の草木や花の香りが爽やかな微風に乗って如月(きさらぎ)の鼻腔をくすぐる。体が風船のように軽くなり、そこはかとない哀愁が襲う。

春は何とはなしにウキウキし秋は物寂しさを覚える。そんな季節の移ろいが今は懐かしい。まだまだ地球温暖化の影響が尾を引いて冬と夏が台頭し、春と秋が萎(しぼ)んでしまったからだ。

如月は碁盤目状に区画された城下町の道筋をあてどなく散策する。白壁に囲まれた旧武家屋敷が立ち並び、なまこ壁の土蔵や黒板塀が続く町並みを歩くとまるで江戸時代に迷い込んだようだ。土曜日のせいか時が過ぎると次第に人通りが増して和服姿の男女が目立つようになり、江戸情緒がいっそう醸(かも)し出される。

そういえば毎年十月初旬は着物ウイークだった…… 萩……関ヶ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられた毛利氏は、改易は免れたものの所領は山陽・山陰八ヶ国から周防・長門二ヶ国に減封された。慶長九年(一六〇四)、毛利輝元(てるもと)は長門国(山口県)に新たな居城を築いた。以来、萩は二百五十年余りに亘って三十六万石の城下町として栄えた。

明治六年(一八七三)に発布された廃城令により天守・櫓(やぐら)などは解体されたが、昭和二十六年(一九五一)に国の史跡に指定され、平成二十七年(二〇一五)に萩城下町と合わせて世界遺産(明治日本の産業革命遺産)に登録されている。

昨日、山口市にある山口科学大学薬学部教授、海野(うんの)重臣と二日間に亘る共同研究の打ち合わせを終えた如月は、萩の北門(ほくもん)屋敷に向かった。毛利元就(もとなり)の三男小早川隆景(たかかげ)及び九男秀包(ひでかね)を祖とする吉敷毛利家の屋敷跡に佇(たたず)む萩城三の丸北門屋敷は、世界遺産のなかにある唯一の旅館である。

旧上級武家地であった三の丸は土塀や白壁に囲まれた武家屋敷の町並みが続き、江戸時代の風情(ふぜい)がそのまま現在まで残っていることから、そのロケーションからも如月にとって一度は泊まってみたい旅館だった。