求不求の有無を問わず、道の極みにて意地を尽くすものには
出会いは必然な応報と思える。
第一章 蜂の武蔵
一
夏も後半、油蝉が蝉時雨に鳴き加わり始めている頃、江戸より北西にある秩父連山の中にある正丸峠(しょうまるとうげ)を越えて道を下っている武者修行中の若き侍がいた。
峠の細道が秩父盆地に開ける辺りで、侍が左手を向くと、疎(まば)らになりだした深緑の杉の木々の間から望める小山があり、その山には、三十年以上も前に滅亡した北条氏一族が造った古い山城(やまじろ)があり、今では僅かに土塁、石垣が残っている程度の横瀬根古屋城(よこぜねこやじょう)跡である。
大坂二陣も昔となり徳川幕府が着々と泰平の世へと進みつつあった元和九年(一六二三)二十歳になった徳川家光が朝廷より将軍宣下を受け、三代将軍となったのが二年前のことである。
侍は、虫の力強い羽音が、やや上空に聞こえたので、強い日差しの中、手でひさしを作って見上げた。
「何だろう?」
大きめの蜂、おそらく雀蜂だろう、半尺(約十五センチ)ほどの白い短冊を青天の中に引っ張りなびかせながら飛んでいる。と、その時、道の脇から急に小童(こわっぱ)が、侍の前に飛び出してきた。小笹の中の小道から、笹の葉の擦れる音も全く無かった。
「お侍さん、どいてくれッ」と言うや、そのまま上空の蜂を追いかけ続けている。
この侍、小童の気配に道に飛び出すまで全く気が付かなかった。
「まさか天狗の子?」疑問というより興味が湧いて、小童の後を追い駆けだした。
侍が小童を追い駆けていると、後からもう一人別の小童が追い駆けてきた。この子は前に行く小童とは違って、足音もドタバタしながら侍を追い抜いていく。
背負った籐籠には、いろいろ小道具が入っているようだ。走っていると中に入っているものがガサゴソと揺らされて音も大きい。
小童らが、しばらく駆け進んでいると、白短冊をなびかせている蜂は徐々に高度を落としている。
ヒカゲツツジの低木が茂った間に朽ちた古木の根が有り、その根の割れ目に蜂は吸い込まれていった。よく見ると穴の近くに数匹の大きな蜂が出入りしているのも見て取れる。
小童が前かがみで蜂の巣の入り口と思われる所を覗いていると、もう一人の小童が近づき、背負っていた籐籠を下ろした。
その子が中から小箱と藁屑(わらくず)を出したかと思うと、小箱に入っていた火種を取り出し、藁に載せ、フーフーと息を吹きかけ、手慣れたように着火した。蜂の子取りである。
「又五郎ッ、まだか」。藁から煙が、モクモクと出だすと又五郎は藁屑をフイゴの先に付いた小箱に押し込み「伊織、ほれッ」と渡した。
このフイゴは片手で操作できる大きさであり、その先端口を巣穴に向け煙を浴びせ始めるや巣穴より蜂が怒ったようにどんどんと飛び出し、小童目掛けて毒針を出しながら攻撃しだした。
小童は、空いている右手に、砥(とぎ)をしたばかりに光を反射する小刀を持ち出すと、スパッ、スパッと蜂を切り落としていく、まったく怯むこともなく一匹、時に二匹同時に切り落としていく。
後ろから付いてきた侍も近くまで来ており、小童の刀捌(さば)きを驚きの目をもって見詰めている。
伊織と言われた小童は次々と蜂を空で切っていくが、その切られた蜂の切り口に目が留まった侍は、瞳が凍りつく衝撃を受けた。その刹那、小童の首の後ろへ一匹の雀蜂が、いまにも毒針を刺そうと襲いかかった。