第一章 終戦前に生まれて(幼少時代)

樺太で誕生

皆さんは樺太という場所をご存じだろうか? 今はロシア領サハリンと呼ばれているが、1945年まで南樺太は日本の最北端の地だった。北緯でいえば、パリやウィーン、ミュンヘンなどと同じくらいの位置にある。

樺太の位置

一章は、父・一柳直通が残した「自分史」から引用する。樺太の自然について、父はこんな和歌を詠んでいる。それぞれの歌には説明が付されているが、ここでは割愛する。

「白銀の はてなき樹氷 陽に映えて 御伽の国は まぶしかりける」(樺太の冬)

「半年の 白き褥(しとね)の 消え去りて 萌ゆる福寿草 麗しきかな」(春)

「カッコウが鳴き、スズラン、ヤマユリ、カンゾウ、リンドウなど色とりどりの花で野や山が飾られる季節は足早に過ぎ、秋がやって来る」(夏)

「ふるさとの 山の麓の 清き川 鮭鱒の味 忘れ得ぬかも」(秋)

今からちょうど100年前の昭和元年当時、父は樺太の広大な牧場主の息子として育つ小学生だった。

全校生徒20人が、一人の教師のもと、一つの教室で学習する。上級生の算数や国語の話を聞きながら、習字をしたり、絵を描いたりしていたそうだ。普段は着物・袴姿で通学するが、冬場はスキーか馬橇(ばそり)を利用していた。ただ、体の弱かった父は、冬の間は休学し、母から勉強を習ったそうだ。