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娘のジーナは学業の関係でやむなく欠勤することもあるが、基本的に休まず働いている。母親の社長は金銭的に厳しく、自分の生活費は自分で稼ぐように主張する。母親自身、母一人、子一人の生活から社長にまで昇りつめた実績があり、子にも独立心を植え付けさせようと考えている。
ジーナが三歳の時、日本人の父親が亡くなった。母と子は横浜で生活を続けた。母親のアンゼリカは日本語がほとんどできなく、家庭での親子の会話はロシア語だった。ジーナは日本人の学校に入学したが、日本語を話せなく苦労した。学校で差別やいじめを受けた。母親に似て負けず嫌いの娘になった。
二十歳になり日本語はほぼ完全に話せるが、それでもネイティブのようには話せなかった。会社員とは平等で気さくに接した。社長の娘という特権は全く表さなかった。語学に強く、ロシア語、英語、日本語が話せた。時々、ロシア語の先生のアルバイトもした。
業務担当は営業でチャーガやワインの販売を手伝った。数字に弱く、経理は不得手だ。社長からはよく叱られた。勉強しろとは言われないが、もっとワインを売れと言われた。対人対応や言葉遣いは極めて丁寧だった。
性格は母親譲りで、積極的で決断力があった。体も大きく、ワインを販売する時は、電話でアポを取り、見本のワインを三本持って、近隣のレストランや小売店に出かけた。訪問を受けたお店の人も、若くて美人のロシア人が商品紹介をするので人気があり、買ってくれる店もいくつかあった。他の社員からの受けも良く、「若いのによく頑張っている」との評判だった。