【前回の記事を読む】信長の斬新なアイディア。毛利水軍との戦いで、やぐらに鉄張りをした大船を建造!? 一方、同時期の海外の船は…

織田信長

信長の恐怖支配

明智光秀が本能寺で信長を襲撃したのは、

安土城での徳川家康の饗応を途中で解任され、毛利攻略中の羽柴秀吉の応援にやられ、その怨恨で襲ったとする説、

丹波の所領を取り上げられ、毛利領を斬り取れという信長の指令に不満を抱いたとする説、

天下人となってみたかったのだという説(宣旨を受け、三日間だけ天下人となった)

諸説あるが、どれが真実であるかは決し難い。

しかし、下地としては信長が仕え難い絶対君主であったことだ。昔から本能寺の変には黒幕説がある。徳川家康、羽柴秀吉、足利義昭、顕如上人、そして朝廷が擬せられている。

思うに真実は信長の過激さに耐えられなくなった当時の日本人達の気運が生み出した想像に過ぎないだろう。

中国の仏教弾圧(織田信長)2

日本の仏教は中国経由でもたらされたのだが、中国では信長よりもはるかに強烈な弾圧が行われた。

最初に仏教を篤く信仰し、かつ寺院を建築したのは、南朝の梁の武帝である。教養人で仏教を広め寺塔の建築に費用を惜しまず行い、財政困難に陥り、反乱の中で窮死した。

その仏教寺院建築は詩にうたわれている。