江南の春 杜牧

千里 鶯(うぐいす) 啼いて 緑 紅(くれない)に 映ず

水村山郭 酒旗の風

南朝 四百八十(しん)寺(十はしんと発音)

多少の楼台 煙雨の中(うち)

 

たしかに美しいが、人々を救済するという、仏教の本旨からすれば、寺院建築をやりすぎて庶民を苦しめたのでは、逆様である。

そこで、中国では四人の帝王が仏教弾圧を行った。

第一回は北魏太武帝の迫害。

仏像経典を焼却し、僧侶を生埋めにした。何とも過激なもので、その原因は何か。中国人は豚肉を好むというが、豚は猪(いのしし)が家畜化したもので、もとはといえば猛獣である。秦の始皇帝も儒者を穴埋め(坑儒)にした。ほんとうの原因はわからない。

二回目の北周武帝による弾圧の後、さすがに当分は行われなくなった。

しかし、また仏教の害がひどくなり、儒教主義者の韓愈(かんゆ)は仏教の害を上奏すると、左遷された。

 

左遷(サセン)せられて藍閔(ランカン)に至(イタ)り

姪孫湘(てっそんしょう)に示(シメ)す(姪孫は甥・姪の子)

一封(イップウ) 朝(アシタ)に 奏(ソウ)す 九重(キュウチョウ)の天

夕(ユウベ)に潮州(チョウシュウ)に 貶(ヘン)せらる 路八千(ミチハッセン)

聖明(セイメイ)の為(タメ)に弊事(ヘイジ)を除(ノゾ)かんと欲(ホッ)す

肯(ア)えて衰朽(スイキュウ)を将(モ)って残年(ザンネン)を惜(オ)しまんや

雲(クモ)は秦嶺(シンレイ)に横(ヨコ)たわって家(イエ) 何(イズ)くにか在(ア)る

雪(ユキ)は藍閔(ランカン)を擁(ヨウ)して馬(ウマ) 前(スス)まず

知(シ)る 汝(ナンジ)の遠く来(キタ)る 応(マサ)に意(イ)有(ア)るべし

好(ヨ)し吾(ワ)が骨(ホネ)を収(オサ)めよ獐江(ショウコウ)の辺(ホトリ)に 

(老齢になったとしも気力衰えず、仏教の害を上奏して逆鱗に触れ、流罪になった顛末(てんまつ)である)