子供たちにも暴力が向かわないように、子供部屋から出ないように導きました。たった一度だけ、私が留守の時に、何が原因だったのかいまだにわかりませんが、長男は外に出されて一週間家に入れてもらえなかったことがありました。その時、「お前のしつけが悪いからだ」と、私も出されてしまいました。長男も反発して入ろうとしませんでした。
⑥ 北風と太陽
その事実は、決して彼一人の行動によるだけではなく、私との間で醸成されたものではないでしょうか。過剰に反応するという私の存在があり、大きくふくらませてしまった私自身にも原因があり、結果があるのです。
形式的には信心活動をやめていても、「欺(あざむ)かれた」という思いがくすぶり続けていて、信心の火種を固く守っていたのでしょう。そして、私の心は彼から離れていき、それを彼は敏感に感じ取っていたのだと思います。
私が、キチンと自分の意思を伝えなければいけなかったのです。私たち夫婦の姿は、イソップ寓話の『北風と太陽』という物語に似ていませんか! 冷たく強い北風は彼の姿、益々心を閉ざしていくような私の姿は、旅人に似ているように思えます。
どちらがよかったのでしょうか。よい悪いではなく、そうなる宿業だったのでしょう。
今、御本尊様を信じ、何にも揺るぎない心と生き方を知ることができたこと。その素晴らしさをいただけたのですから、彼に感謝しなければなりません。彼なしに今はあり得ないのですから……。