カウンターの中央にゆっくり腰を下ろしメニューを見ていると奥から気の良さそうな女性がお茶を片手に出てきた。
迷わず生ビール『大』と『特上にぎり』を注文した。「いらっしゃいませ、生大に特上ですね」と注文の確認をするとすぐ奥に入り、ご主人に注文を伝えた。
雰囲気的には七十歳前後。丸顔のショートヘアで気の良さそうなおばさんである。白いエプロン姿が肝っ玉母さんのような雰囲気を十分過ぎるほど醸し出していた。
「先月、仕事で赴任してきました。斎藤と申します。お寿司は大好きなのでちょくちょく寄らせてもらいます。単身赴任の身なので特に夕飯にお邪魔すると思います」
生ビールでほろ酔い気分になった拓也は、これからいい付き合いになるであろうと予感して自分からすらすらと自己紹介した。
長年の営業経験から第一印象で人の性格を感じ取る能力が身についており、一目見た瞬間にこのおばさんとはこれからいい付き合いができるかもしれないと直感したのだ。
「そうですか、大変ですね。単身赴任でしたら色々とお困りのことがあるでしょう、うちは、出前用に弁当もあるんですよ。よかったら食べてくださいね。電話くれればすぐに届けますけん。この近くにお住まいですか?」
「はい、歩いて五分くらいですかね。茶色い七階建ての古いマンションです」「松田自転車の前のマンションね。ちょくちょくあそこには私も出前に行きますけん、大丈夫ですよ。何号室?」
「五〇八号です。よろしくお願いします。ところで屋号はなんとお読みするんですか? 寿司(こう)ですか? 寿司(あつし)ですか?」
「寿司(こう)と呼んでください。お父さんの名前が「あつし」なもんでその漢字をつけたんですが、(こう)の方が読みやすいけん」
暖簾奥からお寿司を握っていたご主人が「あ〜、あ〜」と言いながら一礼し、
「出前が立て込んでいる時はうちの娘が届けに行きますけん」と、挨拶がわりに出てきた。風貌からして奥さんより五歳くらいは年上であろうか、いかにも仕事一筋でシャイな感じの店主であった。
老夫婦でこしらえた真心こもったお寿司と心地よく冷えた生ビールでついつい長居してしまった。
出前注文用におばさんからメニューを一枚貰い、おやすみなさいの挨拶をして店を出た。東南の空には数多出ている雲の切れ目から微かに顔を出して輝く満月の光が辺りを優しく照らしている。
道路のすぐ脇を走る路面電車に目をやりながら波打ち際のような穏やかな気持ちでゆっくりと家路に就いた。
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