【前回の記事を読む】「謝りたいだけです。申し訳ありませんでした」彼の行動を振り返ると、土下座したらチャラになると考えているとしか思えなかった
Episode1.AI・ブルース
誤解が生じないように、綾瀬はこれまでの注意を繰り返す。
「レポートの提出期限は、1か月後の火曜日3限目開始前までとなります。ワードで作成したレポート原稿を、メールに添付して送ってください。
レポートの書き方については、書式を含めて何度も説明してきました。
繰り返し注意しますが、くれぐれも剽窃(ひょうせつ)がないようにしてください。出典を示さずに、自身の地の文の中に他の人の言説を組み込むことは、剽窃に当たります」
そして諄(くど)いようだが、綾瀬は念押しをする。
「それと、メールは必ず件名欄に『言語学概論レポート』という件名と、自身の名前を書くようにしてください。
件名や名前のないメールは受け付けませんから。また、メールの本文も必ず書いてください。
本文がなかったり、誰宛てかも判らない、タメ口口調の1行メールを送ってもらっても受け付けませんから。確認できていますか? それじゃ、今日の授業はこれで終わりにします。
判らないことがあれば個別に説明しますから、直接質問してもらっても、メールで訊(き)いてもらっても構いません」
ここまで念入りに注意事項を説明しながらも、宛名や件名やレポート添付のない幾(いく)つものメールを受け取らなければならないことを綾瀬は知っていた。また、教務部にはクレームが届くだろうとも考えていた。
それは、教員に授業中に人前で注意されてこころが傷付いたという学生からのクレームになるのか、人前で注意されてこころを傷付けられたと子どもが言っているという、学生の親からのクレームのどちらになるのかは判らなかったが……。
いつからfragile(脆(もろ)く)でpampering(過保護)であることが、この国の標準となってしまったのだろうか。
綾瀬はいつも通りの悪い癖で、解決が得られるわけでもない思いに身を囚(とら)われるのだった。
出口のない閉塞状況が続いたこの30年間に、生徒や学生は教育という名のサービスの提供を受けるconsumer(消費者)になった。同時に、学校・大学は教育という名のサービスを提供するvender(提供業者)へと変質した。
ただ教育に市場原理というperspective(観点)を導入し、間違った脱構築による自殺行為を図ったのは、紛(まぎ)れもなく学校・大学と銘打(めいう)たれている教育機関であった。
市場原理を疑うことのない学校経営において、生徒・学生は顧客・消費者であり、教員・教育機関はサービス提供者となる。
この前提は疑問の余地のないものとして、生徒・学生・保護者・教員・教育機関を含む日本社会に深く根付くことになった。
ただ皮肉なことに、その劇的効果として日本の教育の場から「学び」が消え去り、日本人の学力は低下し、さらに生徒や学生の多くが母国語で本を読めない時代になっていた。
同時に深刻であったのは、たとえイノベーションが創発していても、それを評価できる知的階層を日本社会が大きく失ってしまったことであった。
そして、その現実を引き起こしている当事者が自分達であることに気付けないのが、小・中・高校及び大学を代表とする教育機関であり、行政、さらに日本企業でもあったのである。