(二)シモン・ボリーバル校
シモン・ボリーバル校には、ホセフィーナ先生のほかに、黒人の女の先生、それに女の校長先生の三人しかいませんでした。
この学校はアメリカのプロテスタントの人たちが作ったもので、ほとんどの国民がカトリックのこの国では、肩身のせまい学校だったようです。
この町のたちが、
「あの学校は悪魔の学校だ」
こんなうわさがあったことを、慎ちゃんはスペイン語が分かるようになってから知りました。慎ちゃんのような子どもたちには、そんなうわさは入ってきませんでしたし、それが分かったとしても、学校が楽しくて、慎ちゃんにとってはどうでもいいことです。
慎ちゃんが本当に行きたかったコレヒオとは別に、学費無料の国民学校もダハボン市にありました。でも、両親が見学に行って、我が子の教育には合わないと判断したらしいのです。だから、慎ちゃんがシモン・ボリーバル校に入ってどんどんスペイン語が話せるようになっていく姿を見て、二人は本当に満足してくれたようでした。
シモン・ボリーバル校は私立なので、授業料も高かったみたい。だからこの地方のお金持ちの子どもが多く、ドミニカではあまり見かけないアメリカ人の金髪の子や、国境警備の軍人将校の子どもたちが通っていました。
その子たちの送り迎えには必ずピカピカの高級自家用車。女の子のユニフォームは赤と青と白の線がついたかわいらしいセーラー服。背中のえりには星が二つ左右にバランスよくあしらってあります。男子生徒は人数が少なかったからでしょうか、制服はありませんでしたが、いつもこぎれいな服装をしていました。
そんな中で慎ちゃんが気おくれしないようにと、いつものように母さんは手ぬいの服を作ってくれました。
母さんが作ってくれる服は、日本にいるときから近所の人によくほめられていたのです。それはそうでしょう。「主婦の」なんとかという雑誌などにのっている、有名人のデザインを少し変えて作っていたのですから……。