【前回記事を読む】パーキンソン病が、優しかった夫を奪っていった…冷たい目つき、突き放すような態度。妻を「こいつ」と呼び、罵るように……
第1章 思い出された夫婦愛(藤崎 誠から)
12/29の夕方 台所から泡が弾ける音がした。
菜穂子が小瓶のビールを開け、綿棒に含ませる。口腔ケアを終えたばかりの口に、そっと触れる。
「あなた、少しだけ」
誠の喉が、ほんのわずかに動いた。
家族が見守る中で、息はすうっと細くなり、そのまま止まった。
●訪問看護記録
12/29 19:50 家族申告の看取り時刻。20:10 医師到着、死亡確認。
●家族の言葉
「自宅で最後まで。最後にビールをあげられてよかった」
玄関先のイヌマキは、冬の手入れを待っている。剪定鋏の冷たい感触を、菜穂子はきっと覚えているだろう。
家は、生者のための場所だ。残された人の手で、また整えられていく。
第2章 置き忘れた思いを探して(下川和子から)
伊吹誠に連絡が入った。昔、北川修二さんという建設業の地域の総帥を胃がんで看取った縁で、その娘から、母親を看取ってほしいと言われたのだ。
母親の名前は下川和子という。伊吹は北川姓ではないとだけ気づいた。
伊吹が以前に担当した患者である北川修二は、胃がんの肝臓転移・肺転移の患者であった。北川修二の生命予後が3ヶ月ぐらいの時に、看取りを頼まれた。
広い自宅の増築工事を始めた最中であった。いわゆる突貫工事で行っている。なぜ今頃そんなことをしているのか奥様に聞こうとするも、本人の妹さんや親族、又工事をしている関係者がたくさん出入りしているが、どなたが奥様で誰に聞けば良いかもわからない。
騒音の中、隣の部屋で半分埃が舞っている状態で、北川修二は、布団をひいてそのまま寝る生活をしている。
経鼻カニューレで酸素2リットルを吸引しながら、トイレと食事以外は布団で寝ている生活である。
ベッドをすすめてもガンと断る。伊吹は彼の強い信念はどこから来ているのかわからなかった。しかしこれこそが伊吹の言う在宅マインドであった。
なんとなく家で療養したいなと思う日本人は60%以上もいるが、実際に看取りと言われる状況は、わずか13%ぐらいである。