【前回の記事を読む】約2万円分のお金を貸したらすべてギャンブルに使われた。親切で穏やかそうに見えるその人には前科があり…

前編|生い立ち

大学時代

第一志望の受験は失敗しましたが、何とか二年間の浪人を経て晴れて明治学院大学に進学しました。

入学して大いに助かったことは、大学から返済不要の成績優秀者奨学金と経済援助奨学金を併せてもらえたことです。

おそらくさらに上位の大学に進学していたら、大学からの援助を受けることはできなかっただろうと思います。当時は規模の小さな大学でしたが、今でも明治学院大学には大変感謝しております。

当初は新聞販売所からなるべく近い距離にある大学を考えていましたが、入学した大学は初めに考えていた通学時間の予想をはるかに超える遠距離でした。

西武新宿線の野方駅からJR線の目黒駅で下車してバスに乗り、白金台の明治学院前まで一時間半くらいはかかったと記憶しています。

ですので、朝刊を配り終えて朝食をとった後、急ぎ足で通学しないと一限目には間に合いませんでした。

新聞配達の仕事をしながら昼間の大学に通うのは大変です。当時、新聞配達をしながら大学に通う人たちは夜学生が多かったのですが、私は我儘ながら昼間の大学へ通ったのです。

今の時代ならいろんなアルバイトの仕事があるので、昼間の通学のために時間の調整が可能ですが、当時はコンビニや外食業界のようなアルバイト先はありませんでした。

一限から授業のある日の朝はなるべく早く起きて配達に出るようにしていたのですが、雨の日は配達に時間がかかり遅刻せざるを得ませんでした。

新聞配達時代は学生仲間が入れ替わりでアパートに出入りしていました。深夜まで語り明かしたり、ギターを弾きながら歌ったりしましたが、騒ぎ過ぎてお隣からクレームが出たり、睡眠不足のまま新聞配達することも多々ありました。

しかし、大学に入ってからは自分で学費を出していることもあり、真面目に授業に出席しました。

学部は法学部の法律学科ですが、法律全般の授業はためになりました。三学年から教員免許取得のために教職の科目を受講しましたので、最終的に普通の学生より多くの単位を取得して卒業することができました。

しかし、その一方で新聞販売所の仲間に影響を受けて競馬やパチンコにはまって抜けきれなくなった時期もありました。

当時ギャンブルがまだ現在のように大衆化していなかったので、学生でギャンブルにはまる人は少なかったと思います。

当時のギャンブルは一般の人が堂々と行うものではなく、何となく暗いイメージがあり、背広を着た一般サラリーマンの趣味としては人の誤解を招くようなところがありました。

私はたまたま新聞販売所の先輩につられて買った馬券が大当たりして、病みつきになった状況から抜け出ることがなかなか困難になっていました。