初夏、授業料の値上げ反対などに起因する学生運動が、日本のあちこちで広がり始めていた。その運動はやがて政治的になり、過激化してゆく。安保反対の学生運動から学園闘争となり、反体制運動にまで発展していった。
ある夜、二人で近所の銭湯に行った帰り、杏子は友達から聞いた「ちいさな親切運動」について話した。ひろしは他のことを考えていて適当にしか聞いていなかったので、杏子は少し不満そうだったが、その頃流行っていたフォークソングをハミングしていた。
杏子は母から、海外赴任中に閉め切りにしている家に時々風を通すよう、頼まれていた。その時にピアノでこのフォークソングを弾いていた。当時、アップライトとはいえ、ピアノを持っている家庭は少なかった。
杏子は小学校3年生になって近所のピアノ教室に通わされたが、あまり上達はしなかった。ピアノの先生は二度代わり、二人目の先生はどこかのオーケストラでチェロを弾いている男性だった。杏子はこの先生に少し憧れていた。しかし、その先生も代わると聞いて、中学に入る前には教室をやめていた。
母は、「中学生の3年間は続けなさい」とすすめたが、杏子はもういいと思っていた。
ひろし達の大学も騒々しくなってきた。以前からあった学生運動が、社会主義などの運動として燻(くすぶ)りかけていた。
ひろしの大学の活動グループは、学長との大衆団交を求めてデモを起こした。大学側は講義が無い日は正門を封鎖して学生を排除しようとしたが、学生たちは抵抗をして机や椅子などを使って教室を占拠する、いわゆるピケを張り、学内に立てこもった。
立て看からは「小学校から始まり、T大学を頂点とする文部省による教育制度は、まさに産学合体の体制であって人民のためのものではない。その体制は糾弾されるべきで、批判して人民のための体制へと変革されなければならない」という主張が読み取れた。しかし、ひろしには大学の問題がなんなのか、実際のところよく分からなかった。