普通、替わり番こにやるのだが、その日はひどく暑い日で、誰も代わってくれない。手を休めると、アスファルトが「固まっちまう」と檄が飛ぶ。その後、どうやって続けたのかはっきり覚えていないのだが、ともかく、昼は、汗をかきすぎて、食事が摂れなくなり、お茶だけ飲んですませた。
三時くらいで作業が終わったが、汗があまり出なくなっていて、現場の親方に、早引きを申し出るしかなかった。親方は、私の気力が抜けきった顔を見ると、即、承知してくれた。震えが止まらない手で、どうにか車のハンドルを操作して、家に戻ると、熱を出して寝込んでしまった。
ところが、それからしばらくすると、社長は、忙しい時以外は、私に技術屋の助手を命じた。それで、測量を少しずつ覚えると、次第に土木技術が面白くなって行った。特に初歩的なものだったので、はっきりと自分の進歩が分かるからだったからだろうか。
例えばトランジットは、方角を決める器械であるが、そのために起点となる釘に、中心を合わせると同時に、三本の脚を調整しながら、水平を保たねばならなかった。ところが、最初は、ほぼ水平の場所に据えようとしても、釘に合わせると水平が保てず、水平を保てば釘はセンターから外れて行き、一時間立っても据わらなかった。
ところが半年間、家にトランジットを持ち帰っての「特訓」の結果、山の斜面でも、10分以内で必ず据わるようになり、ある時など、適当に足の長さを調整し、ポンと置いたら、水平も釘も収まっていた。
そして、そうした進歩を遂げるごとに、現場の作業員が、彼らの仕事もスムースに行くこともあり、単純に感心してくれるので、益々やる気になるのだった。
それと同時に、仕事に余裕ができてくると、それまで見たことのないような人物との出会いがあり、彼らが聞いたことのない「事件」を起こすので、それまで、修行僧のような生活をしていた、私には新鮮で、また、あの孤独な勉強生活に戻る気が起きなかったので、うかうかと三年も過ごしてしまった、というのが事実だったろうか。
私は、実家のあるM市の隣のT市での濃密な三年間は、熊沢社長の独特なキャラクターが引き寄せた、同じような個性的人物、小説家も思いつきそうにない出来事の数々の結果であると信じていた。
だが齢60歳を過ぎて思うに、あれはT市の一部の特異な人々が原因などでは決してなく、日本、いや世界の津々浦々、人間が欲望に目覚め、周囲の人々と利害を巡る闘争を始めて以来、一度も止むことのない、世の中の実態なのである、と理解するようになっている。世の中は常に動いている、時々刻々変化し、二度と同じことなど、起こらない。
次回更新は5月11日(月)、11時の予定です。
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