【前回の記事を読む】62歳から再びフランス語を学び、ついに仏検1級合格――それでも“人生は思い通りにならない”と実感した

1.大学院を辞めるに至った経緯。

既に書いたように、建設会社の苦労人の社長から「『好きなことで食べて行ける』などという「甘い考え」」について説教されると、簡単に納得して、その会社でアルバイトを始め、すぐ、言われるがままに正社員になり、二級土木施工管理技士の資格まで取って、三年間、土建屋で働くことになった。

こう書くと、あまりに安易に選択して、周囲に流されたままのようだが、そんな簡単な話ではない。鬱病からの回復期に、人々の間に混じって、体を使った「健康的な」仕事をしてみたいと思ったことは事実だが、実際に土木作業をやってみると、スコップや鶴嘴を使って穴を掘るという単純作業ですら、それまで家庭教師のアルバイトを一年ほどしただけの私には、簡単ではなかった。

高校時代、私が尊敬していた、元「近代文学」同人の作家で、最初の「太宰治」全集の編集者であった、現国のK先生が、ある日の授業で、「芥川」と同じ持病であるという片頭痛の辛さを訴えながら、「昼間、肉体労働をして、酒を飲んで」「グアーッと」眠れるような人が羨ましいともらしたことがあった。

もしかしたら、土建屋を始めたのも、そうしたK先生の言葉が頭に刷り込まれていたからかもしれない。

K先生に対しては、学校を卒業してからもその尊敬の念は薄れていなかったが、三か月も、実際、毎日、道路や下水管や護岸ブロックの現場で、単純な肉体作業をしていた時、先生のその言葉を思い出し「そんな甘いものじゃないよ」、と高校以来、初めて先生に対し、批判的になった。

例えば、ロングの長靴がすっぽり入り、その半分くらいねっとりした泥がまとわりつくので、それを一一ヨッコラショと抜きながら歩かねばならない、湿地帯に埋まった5キロから20キロある不揃いの玉石を手で取り上げ、それを10メートルから30メートルある道路に止めた2トントラックの荷台まで、また一一ヨッコラショとロングの長靴を抜きながら、運ぶ、という作業を朝から夕方まで、3日続けた時、鬱病がぶり返しかけるほど、肉体も精神も疲弊した。

或いは、舗装の現場で、100度以上の温度があるアスファルトを均しているフィニッシャーの横で、しばらく作業して、そこから離れると、真夏の太陽の下なのに、涼しく感じたものだった。

そんな現場で、機械が入れない、フェンスのコンクリートの基礎とか、止水栓の周りとかのアスファルトを、ヘッドが五キロほどタンパーをできるだけ持ち上げてはストンと落とし、押し固める、というだけのそれこそ単純作業をやらされたことがあった。最初は勢いよくやっていたが、すぐその5キロが次第に重くなり、十時休みには既に握力がなくなったように感じられた。