先日、一緒に食事をしたスタッフに「結婚して良いことってありますか」と尋ねられたことを思い出す。結婚でも、仕事でも、どんなことでも、たっぷりと時間を経てからでないとわからないものだらけである。しかし、伝わるように表現できる自信はなかった。

なんでもない毎日を繰り返し、感情のままにブチ切れて放り出したくなるような自分をなんとかやり過ごし、繰り返し今日がきて明日がくる。けれども、ある日ある朝いつのまにか、言葉にできないなにかを自分が所有していることに気づく。

それはたっぷりの時間をかけて醸成され、待つだけの価値があるものだ。時々手を伸ばしてそっと触れる。至福な気持ちを与えてくれるそれに、いつか私だけの名前をつけてみたいと思うのだ。

11 初夏

ベランダから見る木に濃い桃色の花が咲いた。やがて花は落ち初々しい薄萌黄の葉が輝き、骨太の常盤色になる。聞くと、その木の名前は、〝花蘇芳〟というそうである。別名を蘇木といい、花言葉には毒があるものの、痛みの緩和、緊張した心を解きほぐすような効果もあるそうである。

夏の木は鮮やかである。向夏(こうか)の澄んだ空に映えて、生命力の勢いがある。毎年の景色だが、その美しさには目を見張るものがある。

当社のサロンには、先代の社長が描いた何枚かの風景画が飾ってある。何枚かの緑と降り注ぐ光の反射、勢いのある水流が、見る側の心に響いてくる。

その中で明らかに画風の違うものが1枚ある。真ん中に直(すぐ)な道が描かれ、空にはたまご色の太陽が、道の脇には鶸萌黄(ひわもえぎ)と淡萌黄(うすもえぎ)が入り混ざった緑の合い間を濃い桃の花が占めている。一見水彩のように見えるそれは、一番最初に描いたものだそうである。