【前回の記事を読む】休暇中、診察室の中を看護師たちに見られてしまった…「先生も変な趣味よねぇ」汚いだの不気味だのと罵られて…

其の壱

彼は暫し愁い顔になった。だがつっと立ち上がると、「じゃ皆さん、あとをお願いしますね」と言って出ていった。残った者は怪訝な顔で彼の後姿を見送った。

「どうしたのかしら、院長先生変だったわ」

主任が首を傾げた。

「そうねえ、何か言いたそうだった」

「何だったのかしらねえ」

若い二人はお茶を啜りながら相槌を打つ。伊藤医師は無言でひと所を見つめていた。目が妖しく光って、どうやら余り性質のよくないことを考えていたらしい。主任はその目の色を見て身震いした。

夜になった。渋谷医師はそっと居間を抜け出すと診察室へと向かった。同じ建物の中なのに何故かそこまでが遠く感じられた。

待合室には誰の姿もなく、灯りを落とした院内はひっそりとしていた。それでも一度は立ち止まり、辺りを窺ってからそっとドアをノックした。当然のように返事はなかった。

何だか馬鹿らしくなった。何をこそこそする必要があるのだろう。そう思って堂々とドアを開けたのだが、後ろ手に鍵をかける用心だけは忘れなかった。

彼はそう望んでいた訳ではなかったが、知らず識らずのうちに骸骨のことを秘密にしていく方向を辿っていったのである。

灯りを点けると骸骨はまるで標本然として立っていた。渋谷医師は用心のため窓のカーテンを引きながら声をかけてみた。

「やあ、お待たせしました、調子はどうです?」

まるで患者に対するみたいで、自分でそのことに照れてしまった。

「どうですか、今日は少し話を煮詰めてみましょうか」

「オ晩デゴザイマス、宜シクオ願イ致シマス」

骸骨はカシャカシャと音を立てながら向かいの椅子に座った。

「昨夜は酔っていて失礼しました」

そう言って彼はにこやかに笑った。だがその笑顔には一抹の愁いがあった。

今日の外出で彼は彼なりに考えとか覚悟を取りまとめたに相違ない。それが今の笑顔であり、愁いでもあるのだろう。標本が生きているなどという人を喰った出来事に、彼の医師としての心は少なからず傷ついていたに相違ないのである。

一方骸骨もまた憂い顔だった。何か言いにくいことがあるらしかった。愁い顔の医師と憂いを含んだ骸骨が夜の診察室で向き合っていたのである。