バスが田園地帯に入った。和服の女が小さな声で「今度来た先生かもしれないね」と云うのが青山の耳に入ってきた。小さな町なので外から来た者はすぐにわかるのであろう。すると女は立ち上がると、砂利道で揺れるバスの中を泳ぐような仕草をして後部座席に向かって歩いてきた。
「もしかして小学校の先生かな。いえね、わたしの娘がね、四月から東京から男先生が来るって云っているので、もしかしたらと思ってね。間違っていたらごめんなさいね」そして女は断りもなく青山の隣に腰を下ろした。
「はい、この春から小学校に奉職することになりました、青山純と申します」
青山は女の顔を間近に見た。化粧っ気のない顔をした女である。愛想が良いのか押しが強いのか、青山の迷惑など気にしないで話し始めた。
「これはこれは、遠路はるばるごくろうさまです。よくもまあこんな辺鄙(へんぴ)なところにお越しくださいまして。わたしはこの春から四年生になる山崎延子(やまざきのぶこ)の母親です。娘の担任になっていただけるそうで、ふつゝかな娘ですがよろしくお願いします。
読み書きくらいは一人前にできるのですが、からっきし意気地がないものですから、算数などは勉強しようとしないのですよ。まあ女は読み書きができて、算数などは足し算と引き算くらいできれば世渡りできると思ってはいるのですがね」
女が初対面の者にこれだけ気安く話すことに青山は驚いた。しかしそれ以上に驚いたのは、まだ担任のことなど何も聞いていないばかりか、校長はおろか同僚の先生にも会っていないのに、この女は自分が担任する学年のことを知っていたことである。
田舎町の狭い世界では、何か新しいことが起こるとすぐに人々に知れ渡るのであろうかと、他人に無関心な人が多い東京で学生生活を送ってきたので新鮮な驚きを覚えるとともに、少なからぬ不安も感じるのであった。