弐─嘉靖十三年、張(チャン)皇后廃され、翌十四年、曹洛瑩(ツァオルオイン)後宮に入るの事
(1)
「おまえを、李(リー)師父との交渉役にする」
湯(タン)師兄から声がかかったとき私は、素直にもというか、うかつにもというか、よろこんだ。『朱雀』のうけわたしを妨害し、どこかへかくした疑いが、晴れた、と思ったのである。もう大丈夫だ、ばれずに済んだ、と。
それどころか、おめでたくもこれをきっかけに、能力がみとめられ、この漁門で出世できるかもしれないとさえ、考えたのである。結果は、とらぬ狸の皮算用であった。
一度だけ、李清綢(リーシンチョウ)師父をまねいての酒宴によばれた。
鱷(わに)に似た老人がひさびさに姿をみせ、針のような目をさらに細くした。
「おお、叙達(シュター)、きょうはよく来た。これからだいじな接待だ。おまえは宦官になったとき、李師父の名下だったときいている。李師父が商談に応じてくれれば、われらのあらたな拠点ができる。果報がもたらされるよう、よくよく機嫌をうかがってくれ」
その顔をみたのは、西山楼で老魏(ラオウェイ)に紹介してもらって以来のことであった。
いくらぐらい、用意してくれるのだろう? もちろん賄賂(おくりもの)のことである。
般人には使用が禁じられているような高級材をまわしてもらおうというのであるから、けっこうな額をさし出さねばならんのだろう。
漠然とそう考えた。
ところがいざ李師父に会う段になると、湯(タン)師兄は、なにももたせず、手ぶらで私を押し出したのである!
みかえりも交換条件もなしで、人に便宜をはかってもらおうだなんて、虫がよすぎる。はたして、うまくゆくはずはなかった。
後日、田閔(ティエンミン)は、私のところに遣いをよこして、こう、報せて来た。
「おぬしは礼を失した。漁門もまた、常識をわきまえぬとの印象を、師父にあたえた」
材木のあっせんなど、とてもできない――と言うのである。予期した結果とはいえ、私は当惑した。
私だって、賄賂(おくりもの)はとうぜんと思っていた。出さずに、ことがはこぶなどと!
湯(タン)師兄は、その場にいながら、交渉の手本をみせることもなく、助言することもなく、材木の相場がいくらかということさえも、教えなかった。ろくに知識も経験もない者を、手ぶらのまま李師父と田閔(ティエンミン)の前にすわらせて、だまって見ているだけだったのである!
交渉が不首尾に終わったのは、私の非のせいだけではあるまいと思う。