玄関を出ると、雨が降っていた。傘も持たずに飛び出した。夜の山道を走った。サンダルが泥に取られて脱げたが、構わなかった。
(走っても逃げ場なんてない。分かってる。でも止まれない)
旅館の裏山にある東屋にたどり着いた頃には、全身がずぶ濡れだった。ベンチに座り込んで、声を上げて泣いた。
やっぱり私なんかじゃ釣り合わない。沙織さんのほうがずっと若くて綺麗で、仕事もできて、雅彦さんの世界にふさわしい人だ。火傷だらけの手をした、何の取り柄もないおばさんなんかと――。
(そうだ。初めから分かっていたのに。あの女の方が、何もかも勝っている。私なんか、最初から――)
雨が顔を叩きつける。涙なのか雨なのか分からなかった。
スマートフォンが鳴った。雅彦からの着信だったが、出なかった。3回鳴って止み、LINEが来た。
「どこにいるんだ。雨が降っている。戻ってきてくれ」
返信しなかった。もう1通。
「お願いだ。話をさせてくれ。全部説明する」
画面が雨粒で滲んで読めなくなった。よし子はスマートフォンをポケットに押し込み、膝を抱えてうずくまった。
山の奥で雷が鳴った。体が震えていた。寒さのせいだけではなかった。
正志、どうすればいい。心の中で問いかけた。でも答えは返ってこない。もう3年以上、返ってきたことはない。
素足がじんじんと痛む。東屋の木のベンチは冷たく、体温がどんどん奪われていく。
(馬鹿みたい。でも、あの旅館に今は戻れない。あの人の顔をまっすぐに見られる自信がない)
遠くで車のヘッドライトが動くのが見えた。旅館の方向だ。誰かが駐車場から車を出している。こんな夜更けに。まさか――。
雨の中を、懐中電灯の明かりが近づいてきた。
次回更新は4月5日(日)、21時の予定です。
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