その夜、布団の中で雅彦の背中を見つめた。穏やかな寝息を立てている。この人を信じよう。信じなければいけない。
でも、胸のざわつきは消えなかった。
翌朝、食堂で朝食を並べていると、節子がそっと耳打ちした。
「あの中川さん、旦那さんの前の奥さんが生きていた頃から、旦那さんのこと好きだったのよ」
「え——」
(本当に? そんな話、聞いていなかった)
「知らなかったの? この辺じゃちょっとした噂よ。まあ、旦那さんは前の奥さん一筋だったから何もなかったけどね」
節子は何でもないことのように言って、お膳を運びに行った。
よし子は湯呑を持つ手が震えているのを隠せなかった。その日1日、よし子は仕事が手につかなかった。客室の布団を敷く手が止まり、配膳で器の位置を間違え、節子に2度も注意された。
「どうしたの、今日のあんた。ぼんやりしてるわよ」
「すみません。ちょっと寝不足で」
嘘をついた。本当は眠れないのではなく、眠る気力がないのだ。頭の中で沙織の微笑みと、雅彦の笑顔が交互に浮かんでは消えていく。
夜、1人で部屋にいると、廊下の向こうから沙織の笑い声が聞こえた。雅彦も一緒にいるのだろうか。耳を澄ましている自分が嫌になった。
(こんな自分が嫌だ。でも止められない)
こんな女になるつもりはなかったのに。
次回更新は4月3日(金)、21時の予定です。
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