「恥ずかしい」
「聴いていたかったのに」
しばらく沈黙が続いたあと、雅彦がぽつりと言った。
「……よし子さんと、こういう時間を過ごせるとは思っていなかった」
「私も」
「一緒にスーパーに行って、たわいのないことを話して。こんな普通のことが、こんなに嬉しいなんて」
窓の外に夕暮れが広がっていた。山の稜線が橙色に染まっている。
(私も同じです。こんな普通のことが、こんなに幸せだなんて思わなかった)
よし子は助手席で、膝の上の買い物袋をそっと抱えた。
「雅彦さん」
「はい」
「来年の春、美咲に会ってもらえますか。ちゃんと。2人として」
しばらく間があった。
「……そのためには、まずよし子さんのお返事をいただかないといけませんね」
「あ」
(そうだ。恋人と言っても、まだちゃんとした話はしていない)
「……私の娘を、家族として受け入れてもらえますか」
雅彦がハンドルを握る手に、力が入った。
「喜んで」
「じゃあ、私も、よろしくお願いします」
雅彦が道の端に車を止めた。エンジンを切って、よし子の方を向いた。目が真剣だった。
「ありがとう」
よし子は顔が赤くなるのを感じながら、前を向いた。
(この人の真剣な顔は、ずるい。心臓がおかしくなる)
夕暮れの山道で、2人は少しの間、黙って並んでいた。
次回更新は3月29日(日)、21時の予定です。
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