信長の恐怖支配

天正二年元日、祝賀の席で信長は諸将の供覧の物品として黒塗りの箱を座の中心に置いた。中から出されたのは、金箔を張りつけた三体の髑髏(どくろ)だった。朝倉義景、浅井長政、同久政のものである。

信長は浅井長政を味方につけようとして、妹の、海内無双の美女といわれたお市を嫁がせた。しかし結果として長政に裏切られた。その腹いせにこのような蛮行に及んだのだ。しかし、諸侯は肝を冷やしたであろう。信長は一度自分に背(そむ)いた者は決して許さない恐怖支配者であった。

天正八年、石山本願寺との和睦が成立した後、本願寺攻略の総司令官だった佐久間信盛に対し、折檻状を送り追放処分にした。

その内容は十九条にわたって細かく執拗に攻めているが、一言でいえば怠慢である。信盛は高野山に追いやられ、そこで窮死した。同時に林秀貞を二十四年前の問題で、安藤守就を十三年前の問題で追放した。

従って信長の部下たる者は、黽勉(びんべん)これ相勉め違背の心を片時ももってはならぬ、ということになる。これは実に仕(つか)え難い絶対君主である。

 

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